コラム
» 2008年12月01日 10時00分 UPDATE

小寺信良の現象試考:「一億総クリエイター」という勘違いに至る道のり (1/3)

ユーザーが生成するコンテンツ、User Generated Content(UGC)の創造が容易になり、「一億総クリエイター」時代が到来したと言われるが、それは本当だろうか。

[小寺信良,ITmedia]

 先週、「コンテンツ学会」の記念講演シリーズの一部として、「変質するContent Play」というタイトルで講演してきた。コンテンツを娯楽として楽しむという行為が、受動的な体系から消費者参加型の「Play」に変質してきた課程で、本来は商行為の権利保護ルールであった著作権が、クリエイティブとは無関係な「利用」部分にまで関係してきた課程を整理したものである。

 講演のあと参加者とのディスカッションで、またもう一歩深い議論となるタネをいくつかいただいた。ただ、なにぶん筆者は考えるのに時間がかかるタイプなので、ディスカッションの中で丁々発止やり合いながら、打てば響くような答えがなかなか出せない。会議などでも話題が尽きそうになったとき、突然、変な事を言い出して議論の方向性を混ぜっ返してしまうようなタイプなので、歯がゆい思いをされた方も多かったことだろう。

 そこでこのコラムの場を借りて、もう一度ユーザーが生成するコンテンツ、すなわちUser Generated Content(UGC)の成立について考察してみたい。

娯楽の変遷と受け手の立ち位置

 コンテンツとはそもそも何か。コンテンツ学会の設立総会でも、「コンテンツ」という輸入された概念ではなく、日本語として理解できる語に言い換えて議論すべき、という意見が出た。確かにコンテンツという言葉は大変便利なもので、なんでもかんでもその入れ物の中に放り込むことができる。だから総体としてハンドルが付けられ議論ができるという面もあるが、だからこそすべてのコンテンツに満足できる施策が出てこないとも言える。

 ここではコンテンツを、人々が享受する「娯楽」という意味に絞って考えてみたい。

  • 生の時代

 人々が享受する娯楽の原点は、歌や踊りといった、生の実演である。これらの娯楽が発生した当初は、それを提供する側、享受する側の間で明らかな線引きは存在しなかったであろう。大きな火を囲んで輪になり、その中で交互に楽み楽しませ、あるときは全員で楽しんだりしたものであったと想像される。

 しかし人間社会が高度に分業化されていくに従って、娯楽を提供する専門家が登場する。役者や歌い手といったパフォーマー、作曲家、美術家といった制作者が専業化していく。そこでは一対多の効率的な「興業」が行なわれるが、作り手と受け手が対峙することが可能な状況が保持されている。

  • 実演記録の誕生

 この関係性が壊れ始めるのが、記録メディアの登場以降である。この時代を便宜的に「記録の時代」と呼ぶことにする。フィルムによる映画産業、レコードによる音楽販売という産業は、ほぼ同時に発生した。シネマトグラフによる初の上映が1895年、ベルリナーが発明した円盤式レコード及び再生装置グラモフォン(Gramophone)の製造販売会社「ベルリーナ・グラモフォン」が設立されたのも1895年である。

 そもそも生ものであった芝居や演奏をメディアに記録してパッケージ化し、複製し、流通させることで、これらの「興業」は飛躍的に成長していった。そして娯楽の作り手と受け手は、直接対峙することがなくなっていった。時間と空間を共有しない関係となり、両者の間に流通業、すなわちメディア産業界が割り込んだのである。

 ここでもう1つのパラダイムシフトが起こる。パトロンが変わったのだ。娯楽の作り手と受け手が直接対峙する時代では、作り手のパトロンは受け手であった。王宮のお抱え音楽家も萱掛けの芝居小屋の役者も、同じである。しかしメディア産業の勃興をきっかけに、パトロンは受け手ではなく流通業者となった。

  • 放送の誕生

 そして「放送の時代」となる。日本でのラジオ放送の開始が1925年。関東大震災からわずか2年後の、大正14年のことである。テレビ放送はそれから約50年後、1953年に始まっている。

 放送がもたらしたものは、娯楽享受の機会損失補てんである。映画は映画館に行かなければならず、レコードは蓄音機を買い、レコード盤を購入し続けなければならない。しかし放送は、家庭にいながらにして新しい娯楽を、無尽蔵に提供した。

 「コンテンツシェア」という概念は、すでにこの時から生まれたはずである。ラジオのある家庭、テレビのある家庭にご近所が集まって一緒に楽しむということは、普通に行なわれた。

 筆者の記憶の中には、カラーテレビの登場時における「コンテンツシェア」体験がある。新しもの好きだった祖父がカラーテレビを買い、夕方5時には近所の子供たちが一同に集まって「ウルトラマン」を一緒に見たものだ。それまでモノクロ画面で見慣れていたシックなウルトラマンが、実は銀と赤だった衝撃の事実は、瞬く間に子供たちの間で常識となった。

 放送は、記録メディアとはまた違った意味で、作り手と受け手に壁を作った。放送、特にラジオの初期は、すべて生放送である。音楽も生演奏であり、歌手も生で歌った。現在はコストの問題で録音されたものを流すのが一般的だが、当時は生演奏とレコード演奏をコストで比較するという概念がなかった。むしろ放送で生演奏というのは、「だからこそ放送する価値があるもの」であったわけだ。

 演奏をし、それを同時に視聴者が鑑賞するという点では、時間軸としては「メディア誕生以前」と同じである。ただ視聴者は、演奏者と直接対峙することがなく、双方は同じ空間には存在しない。

 のちに放送用記録技術の発達で、時間軸もズレるというメディア産業と同じような構造を持ちうるようになったのだが、放送業者がいまだに「生」にこだわるのは、メディア産業ではどうやっても越えられない、作り手と受け手の「時間的同期」が可能だからである。

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