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2015年を総括! 恒例「麻倉怜士のデジタルトップ10」(前編)麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」(2/4 ページ)

» 2015年12月25日 15時56分 公開
[天野透ITmedia]

9位 イマーシブサラウンドの挑戦

麻倉氏:第9位はイマーシブサラウンドの挑戦です。

――イマーシブサラウンド? あまり耳慣れない言葉ですが……

麻倉氏:Dolby AtmosやDTS:X、Auro-3Dなど、今、垂直方向の3Dサラウンドが注目されています。第9位はこれら垂直系サラウンドの音楽系の話で、海外では「3Dサラウンド」もしくは「イマーシブサラウンド」と呼ばれているんです。今年は「イマーシブサラウンド準備元年」でしたね。

――最新の立体音響音楽は、以前このコーナーでも何回か取り上げました。春にはミック沢口さんが大賀ホールで収録した「フーガの技法」もありました

麻倉氏:今年の夏には目白・関口台の「東京カテドラル聖マリア大聖堂」で、古楽合奏団「コントラポント」がモンテヴェルディ「聖母のための夕べの祈り」を演奏し、ミック沢口さんと入交英雄さんという東西の専門家がレコーディングをリードしました。入交さんは毎日放送の社員で、毎日放送の新事業としてイマーシブを請け負うビジネスを開始しています。入交さんは随分と以前から3Dサラウンド研究し、実験を重ねていて、商業ベースで録音作業をスタートさせたのが今回にあたります。

――ということは、今後はイマーシブ音源が増えることも期待できるわけですね

麻倉氏:そもそも教会という空間は、三角形の構造から音響で“神の音”を演出します。丹下健三さんが設計した東京カテドラル聖マリア大聖堂の内部は、緩やかに膨らんだ多角錐が天井に向かうという形をしていて、これが響きに奥行きと複雑さをもたらしています。所により微妙に異なる軌跡を描いて上に昇っていくというのが入交さんの印象で、その残響は約7秒と非常に長く、渦を巻くように立ち上り実に豊穣です。「3D サラウンドの収録に最適な場所でした」と入交さんは話していました。

――天上から響く神の声というと、ウィーン少年合唱団が思い出されます。教会はどこも天井が高く、普通のホールとは異なった響きを持っていますね

麻倉氏:ウィーン少年合唱団はウィーンの「ホーフブルグ宮」のホールで聞きました。背後の2階からの合唱の声はまさに清らかで神々しがったです。入交さんのマイキングはAuro-3D規格でのエンコードを想定して、メイン(地上)、ミドル、トップの3レイヤーに配置しています。特徴的なのはトップで、天井の十字が交差する真下の最も残響が豊穣な場所、つまり客席最前列中央付近に4本をアレイ状に設置しました。収録に使った28本のマイクのうち、24本はデジタルマイクです。

――「フーガの技法」の時は確かステージ上にトッププレイヤーを持ってきていましたよね。今回はプレイヤーの真上ではなく、客席寄りですか??

麻倉氏:実はそこが沢口さんと入交さんの違いなんです。沢口さんのイマーシブマイクセッティングはステージ上部の楽器のすぐ上で、入交さんは客席の離れた位置です。マイクの位置に関してはまだ実験が重ねられている段階です。比較すると、入交さんはわれわれが普通に音楽を聴く“聴衆の視点”で、沢口さんは部屋全体に広がる直接音を主体にした狭い空間での緊密な音場感という“奏者の視点”で音が聴けます。

――これもバックボーンの違いからくるものですね。沢口さんが奏者寄りというのが、実にジャズ畑出身者らしいです

麻倉氏:別のプロジェクトを紹介しましょう。入交さんは11月のはじめに「八ヶ岳やまびこホール」で、ニューヨークで活躍する世界的マリンバ奏者の名倉誠人さんと、アメリカのピアニスト・作曲家のベンジャミンC.S.ボイルさんをフューチャーした「Tears and Prayers」というアルバムを制作しています。e-onkyo musicで配信され、CDを出して頂けるメーカーを探しているそうです。

八ヶ岳やまびこホールでイマーシブサラウンドの新録に取り組む名倉誠人氏(写真=左)、入交英雄氏(写真=中央)、ベンジャミンC.S.ボイル氏(写真=右)

 八ヶ岳やまびこホールは山梨県の北社市高根町という場所にある、八ヶ岳の木材がふんだんに使われた音が良いホールです。音には素材感が出るため、例えばコンクリートの壁からはコンクリートの音がするのですが、ここは床も壁も天井も八ヶ岳の木材でできているので、ウッディで気持ちが良い響きがありながら、明瞭(めいりょう)度が高いという素材の音が出ます。

――コンクリート打ちっぱなしの空間って、キンキンした響きになりますよね。スピーカーもそうですけど、木材の音響はメロウでウッディな、暖かく耳に優しい響きが心地良いです

麻倉氏:名倉さんと入交さんは友人同士で、このコンビは4作目ということです。今までは海外の作曲家の手による新作を録っていたのですが「どうもイマイチ親しみがない」ということで、今回はバッハやグノーの「アヴェ・マリア」や「アメイジング・グレイス」などの知られている曲を取り扱いました。

 それにしてもこれは入交さんの考えがよく分かる録音ですね。2chは直接音と響きがすべて同じスピーカーから出るため、互いが干渉して「完璧な音」は出ないのですが、上手く設計されたイマーシブでは手前2chは直接音主体で響きはアンビエントスピーカーといったように、この2つが機能的に別れます。それらがユニットではなく空間で合成されるため、従来の明瞭度と響きの二律背反という問題が、イマーシブによる機能分化でどっちも美味しい音になる訳です。

収録の様子。映像作品だけでなく、音声作品にもイマーシブサラウンドという選択肢ができた

――それってつまり「音場か音像か」という選択から開放されるという事ですよね? オーディオにとってこれは画期的な進化ですよ

麻倉氏:その通り! 先程の聖マリア大聖堂でもそうでしたが、入交さんのノウハウとして、メインマイクは楽器から1.5mほど離れた位置にセッティングします(これはイマーシブでなくともあるべき位置です)。そしてアンビエントの4本は客席上のかなり離れた位置に置いています。当然メインとアンビエントで音にディレイ(時間差)が出るのですが、このディレイが大きな残響空間を生むのです。ただ、地上のサラウンドはある程度離さないとピンポン効果で音をゆがめてしまいます。この辺りのマイクセッティングに関する研究はまだまだこれからですね。

 やまびこホールで録ったチャンネルは合計18chで、これを下5ch、上4chの9.0ch、もしくは7.1ch(5.1+2)か5.1chにまとめます。聴いていると気持ちの良い音場で音楽の中に自分を委ねられ、緊張感なく音楽鑑賞ができます。空間のあるべき所から音が出て肌を覆う感じがイマーシブの特長ですね。2chでは点から音が出るイメージで、限定された場所から限定された音が出てくる感じです。音場空間だけでなく、音楽そのもの明瞭性や感じ方が変わってきますね。しかも低音がとてもよく出ます。モニターに使ったのは富士通テンの「TD508」という、小型のタイムドメインスピーカーでした。もともと低音はあまりリッチに出ないスピーカーですが、イマーシブサラウンドで聴くと、意外にも豊かな低音が再生されました。イマーシブは低域も改善するのです。

モニターに使われた富士通テンの「TD508」。天井近くに配置されている

 それからミック沢口さんに関しても、12月15日に大賀ホールで新録を行いました。今度はシューベルトの弦楽四重奏をヴィオラの代わりにチェロ2本でやるという挑戦です。

――四重奏でチェロ2本なんて、見たことも聞いたこともありません

麻倉氏:ミックさんはジャズの人なので、クラシックでも新しい響きをクリエイトしたいという考えがあります。そのためには元々のスコアに対して、音場的な響き、音楽的な新しい切り口、というチャレンジをするのです。最初の「四季」はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのソロを多重録音、2番目の「フーガの技法」は弦楽五重奏へ編曲、そして今回はヴィオラをチェロに移換して低音を充実させるといった具合です。これも体験してきましたが、チェロで弾くビオラのエモーションが凄かったです。またハイトスピーカーの位置が、フーガとは違い、ステージぎりぎりの観客席側に4本のハイトスピーカーを並行で配置しました。これも新しい試み。試聴が楽しみです。

 いずれにしてもイマーシブはまだまだこれからです。ても、音楽体験を濃密にすることは確かでしょう。より生臨場感に近い音楽体験を家庭の場で実行するという意味で、将来が楽しみですね。

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