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2015年を総括! 恒例「麻倉怜士のデジタルトップ10」(後編)麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」(2/4 ページ)

» 2015年12月31日 06時00分 公開
[天野透ITmedia]

第3位:ついに商業放送開始! DSDストリーミング配信実験「PrimeSeat」

麻倉氏:ではいよいよ第3位の発表をしましょう。第3位はDSDストリーミング配信実験です。

 今年の4月5日は、メディアと音楽と音質の関係において新時代を拓いた記念日といえるでしょう。東京・上野の東京文化会館における東京春音楽祭のコンサートを、DSD 5.6MHzで生伝送(ライブストリーミング)する試みが、ソニー、コルグ、IIJの3社の手で行われました。私は実験のプロデューサーであるオノセイゲンさんに誘われ、まさに演奏=生配信のその場に居ました。

――これはつい先日「PrimeSeat」という、世界初の商業サービスへ進化しましたね。しかしDSD 5.6MHzのビットレートはおよそ11.2Mbpsで、PCM 192kHz/24bitの約9.2Mbpsを上回るデータ量です。安定的に帯域を確保するにはかなり厳しいですよね

麻倉氏:確かにこの日も音が途切れていました。ですがこの日に同じ実験放送を自宅で聴いていたという関係者は「ADSLでも問題なく聴けた」と話しています。10月31日に行われたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の配信実験時には、東京よりもはるかに遠いアムステルダムからのストリーミングでしたが、まずまず受信環境は快適でした。どうやら上野の時のボトルネックは配信側の機材だったようです。

――「秋のヘッドフォン祭り」のコルグブースで、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のストリーミング実験を告知していました。その時の話によると、アムステルダムからの配信が成功すれば本サービスを開始し、問題が発生すると本サービスは先送りとされていたそうです。数々の音楽イベントが毎日のように行われるヨーロッパからの生放送が可能となったことは、音楽ファンとして非常にうれしいですね

現地時間10月31日、オランダ・アムステルダムからのDSD生中継に成功し、PrimeSeatはいよいよ本放送を開始した。写真は生中継の会場となったアムステルダムのコンセルトヘボウ。ウィーンの楽友協会大ホールと並ぶ“奇跡の音響空間”を持つホールとして知られている

麻倉氏:素晴らしいのは利便性だけではありません。真に注目すべきはその音質でしょう。4月5日の上野で、マイクで拾われると同時にネットに上げられた、文化会館小ホールでの演奏(古典のピアノ、フルート、声楽曲)そのものを、「わざわざ」ネット経由で再生したその音に、私は心底、感心したのです。もちろんDSD 5.6MHzの音は音楽ファイル配信でよく聴いています。ですが文化会館五階のリハーサルルームにしつらえられたオーディオから流れ出る音は、それらとはまったく違い、大袈裟(おおげさ)にいえば“人類がメディアとスピーカーを通じて得られる最良のもの”とさえいっても過言ではなかったですね。

 2時からの生中継をスピーカーの前で聴いたあと、ホールで5時の回のコンサートを聴きましたが、その2つは非常に近い音響でした。方や完全な生演奏、方やインターネットを経由してきたスピーカーからの再生音ですが、それがこれほどまで近似するとは! メディアと再生音のこれまでの常識をひっくり返す鮮烈な出来事だったといえます。

――おそらく人類が持ちうる最高の再生音に幾度となく接しているであろう麻倉さんに、ここまで言わせるとは…… それほどまでに鮮烈なインパクトをもたらした原因は何だったのでしょう

麻倉氏:大きな要因としては“圧倒的な高音質”と“その瞬間に音楽が生まれるライブ性”という2つが挙げられるでしょう。鍵盤が打鍵され、ほんのわずか遅れて、アクションが動き始め、弦を叩く、その音がまず直接音として発音され、また少し遅れて、直接音が壁に当たり間接音が生じる。その響きのベクトルがあらゆる方向に飛び散り、あるものは回転したり、またあるものは束になったりしてホール空間を駆け巡る、という音と響きのドラマが、ホールで聴けただけでなく、リハーサルルームのスピーカーからも聴けたのです。

 これほど生々しい音はDSD、それも5.6MHzでないと得ることができません。PCM系は総じて音が固くなる傾向にありますし、かといって今までのDSD 2.8MHzでは音のパワー感が足りません。濃密な音のエネルギーを余すところなく情報化するには、時間を極めて細密に分解して数値化するDSD 5.6MHzの圧倒的なデータ量が必須なのです。それと同時に、オノセイゲンさんのシンプルなマイクアレンジ(客席の約7メートル上に、BKマイクが2本)と、マイクアンプダイレクトで(イコライザーを通さずに)インターネットに直接アップロードするという仕組みも、大いに高音質に貢献しているでしょう。

 そして同じ時刻に演奏が行われているという同時性の興奮も、感動の一因だと考えます。DSD 5.6MHzの高音質がもたらす音のエネルギーは、音楽の情熱や躍動感といったものまで再現してみせます。ここまで音の良い生中継なら、音楽を聴くスタイルもきっと変わるに違いありません。これまでのメディアとリスナーは“タイムシフト”の関係でした。生は体験できなくとも放送やCDなどのパッケージを使い、“時間差”で鑑賞していた訳です。しかし、ウルトラHi-Fi“生中継”では、その時間を離れた場所で共有し、同一体験することが可能になります。

DSD 5.6MHzの音声情報量を生配信するPrimeSeatサービス。2015年12月現在、専用ソフトと放送の受信は無料で楽しめる。ちなみにDSD 5.6MHz対応DACがなくても、受信環境に合ったダウンコンバートで放送を聴くことが可能だ。ソフトの開発は第5位でも登場したコルグである

――クラシック系の高品位ライブストリーミングサービスというと、ベルリンフィルの「デジタル・コンサートホール」が思い浮かびますね。2008年のスタート当初は対応機材が限られていたり、インタフェースも英語とドイツ語だけだったりというハードルの高いサービスでしたが、ホームシアターが当たり前のようにネットとつながった今では機材の問題もかなり解消し、日本語ページも開設されました

麻倉氏:これまでベルリンフィルやウィーンフィルといった一流オーケーストラの名演は、11時間のフライト、言葉の壁、そして時間と費用というさまざまな障壁を乗り越えることができる人のみ体験できたものでしたね。日々の定期演奏会だけではなく、例えばウィーンフィルの「ニューイヤーコンサート」や、チェコフィルの「プラハの春音楽祭オープニングコンサート」、英国BBCの「プロムス」、そして今回生放送が実現した5年に1度の「ショパン国際ピアノコンクール」などなど、「本当は生で聴きたいのに現地へ行けない」というコンサートは数多く存在します。PrimeSeatサービスはそういった世界中のコンサートを極めて身近なものにしてくれる画期的なサービスなのです。こういった高音質生中継は、新しい音楽のスタイルを生み出すに違いありません。

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