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四国に8Kの未来を見た――完全固定カメラの舞台映像がすごい麻倉怜士の「デジタル閻魔帳」(2/3 ページ)

» 2016年05月11日 20時59分 公開
[天野透ITmedia]

麻倉氏:鈴木社長は、「8Kはこれまでのテレビの延長線上にはないもので、家庭向けではない、特別な体験をするメディア。例えば劇場での体験や、壁全面をスクリーンにして景色を映すといった使い方が望ましい」を持論としています。映像記録による劇場の再現はまさにうってつけということで、鈴木社長は越智さんと出会った際に「8Kは解像度が高いため、スイッチングも切り替えも編集もしない完全固定カメラで撮ってみては?」と提案し、越智さんも賛同したということです。

――これは坊っちゃん劇場側だけでなく、アストロデザイン側からも、非常に有意義な試みですね。実は2月末に横浜で開かれた「CP+」のキヤノンブースで8Kデモを体験してきたのですが、その際に8Kの企画展開を担当している鈴木百合子さんにお話を伺ったところ、撮影対象と手法は8Kにおける大きな課題だとしていました。まだまだ研究段階で、そもそも8Kにはどんな可能性があって、どういった使い方ができるのかという点が大きな悩みだそうです。「『ウチで試してみないか』というアイデアを持っている人が居たら教えてほしいです」と話していたのが印象的でした

麻倉氏:8Kが従来のメディアと違うもので、開発がいかに難しいかということを感じさせるエピソードですね。そういった意味でもアストロデザインの鈴木社長はアイデアマンです。

 話を戻しましょう。今回技研シアターで上演された「鶴姫伝説」は2014年11月から2016年1月まで再演された際のもので、2014年11月の初演と2015年12月の千秋楽に近い公演を8K撮影しています。物語は戦国時代の瀬戸内における水軍同士の闘いの中、村上水軍に連なる大祝氏の娘で「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた鶴姫が争いを収めようと奮闘する、というものです。

愛媛県東温市にある「坊っちゃん劇場」の公式ページ。地元を題材としたオリジナルの作品を毎年上演しており、地方の独立系劇場としてはとても意欲的なシアターだ

――時代としては西国の覇者である毛利元就とほぼ同時代ですね。敵勢力として出てくる大内氏は毛利元就と今回の物語に深く関わる村上水軍の連合部隊によって、世界遺産の厳島神社を望む「厳島の戦い」で滅ぼされます

麻倉氏:私は昨年の「InterBEE」で、今回とは違う初演の映像も既に観ています。その時はアストロデザインブースの壁面に中国製の巨大なLEDビジョンがあり、そこでのコンテンツとしてサッカー中継などに混ざっていました。越智さんと出会ったのはこの時です。

 InterBEEの時に感じたのは「もの凄く大きな画面で、眼前で舞台を見るというのは、舞台がまさに眼前にあり、2次元でも3次元的な良さや舞台中継の広さを感じる」ということでした。ただし、この時の映像はノイズが多かったんです。原因は、暗い照明に由来する高感度撮影です。

――これは静止画でも同じですね。光が少ない暗所撮影は大口径レンズで絞りを開いて財布やピンぼけと戦うか、シャッター速度を落としてブレと戦うか、ISO感度を上げてノイズと戦うかの3択です。動画ではISO感度ではなくゲインと表現されますが、基本的には同じ行動です。最も動画の場合はフレームレートや光源の周波数といった問題があるので、シャッター速度での対策は静止画よりも厳しくなります

麻倉氏:君は撮影に詳しいね。坊っちゃん劇場ではノイズ問題の対策として、12月に再度撮影する際は舞台演出の妨げにならない程度で照明を明るくし、またアストロデザイン側は低ノイズカメラを用いて1絞り分の明るさを稼ぎました。これが功を奏し、今回のものは劇的にノイズが減っていましたね。

 HV(ハイビジョン=2K)以前のSDでは小画面で解像度が低いため、アップかつマルチカメラのスイッチングでつなぐというのが舞台撮影の基本でした。そうしなければ画が破綻してしまい画面が保たなかったという、映像演出上の問題に由来する表現だったのですが、HV時代になると大画面で広画角かつ少スイッチングにして、ユーザーに主体的に楽しんでもらおうという意見が出てきました。しかし実際の2K時代はSD時代と変わらない構成の画で、当初の理想通りとはいきませんでしたね。8Kが現れた今になって、大画面で主体的に視線を動かせる引き画というのが再度見直されているのです。

――実は僕の母と姉が創作ダンスを長年やっているんですけれど、その影響で僕も舞台映像はよく見ているんです。大会や定期公演などの映像は主催者が依頼したプロのカメラマンによって収録され、DVDなどのプライベートなパッケージになるんですけれど、このテの映像には母も姉も決まって文句を言うんです。映像のプロが作った舞台映像というのは、アップやパンで映像作品としての演出をするんですよね。ダンスでも演劇でもそうですが、舞台芸術には往々にして主役と脇役という役割分担が表れ、そんな舞台という被写体に対して映像屋さん達は「いかに主役を主役らしく、脇役を脇役らしく引き立てるか」という演出を技巧を凝らして表現しようとするんです。よって必然的に舞台作品の映像は「主役や舞台中央に立つ演者の顔をアップで映す」「同じ動きをするグループをパンで流す」といったものが多くなります。

 ですが、舞台に立つ人達の視点というのはそうではありません。舞台全景の中で動きの対話が観たいため、アップやパンといった演出はかえって逆効果で、じゃまでしかない。母や姉は役者の顔が観たいワケではないので、アップのカットが表れる度に「(カメラを)引け!」とか「そこで動かすな!」とか「動きが観たいんや、顔が観たいんちゃう!」とかいった文句をよく口にしていました。今回の映像構成は、正に舞台人が喉から手が出るほど望んでいたものといえます。こういった人達にとって8Kは福音になりそうですね。単純な映像技術の進化だけでなく、舞台文化の記録として大きく進化したと感じます

麻倉氏:君の家族は素晴らしい。まさに舞台人の声だね。こういった新技術開発というのは観客視点になりがちですから、舞台人の意見というのはなかなか貴重です。先程も指摘したことですが、SD時代で全景のみの画というのは解像度が低くて成り立たないという大前提がありました。それに対して全景が見えると同時に個人の顔も判別できる、というのが8Kのスゴいところです。高解像度映像は個人の顔つきや熱気などを感じ取ることができるのと同時に、フォーメーションやダイナミズム、コミュニケーション、インタラクションといった、個人間・グループ間の様子や空気感も全体的に捉えられます。ここに8Kの大きな価値が出てくるのです。バレエ映像は昔から「アップ厳禁」という大原則があり、必ず引きの画でした。そのため顔も髪もコスチュームの質感も、SD時代はディテールが潰れてしまってよく分からなかったものです。そういった話を踏まえると、解像感が上がることで最も恩恵を受けるのは舞台映像だということができそうですね。

――先述のキヤノンのデモでは「動く映像による体験に挑戦したい」といった話をされていましたね。徒歩くらいのスピードで道や教会やレールの上を進むというものなんですけれど、映像制作時に色々とカメラのスピードを試してみた結果、この「徒歩くらいの速さ」というのが最大限耐えられるものだったといったことを聞きました。速過ぎると映像酔いしてしまうため、腰を据えて長時間観続けるということができないそうです。対して舞台を観る時は観客が動くことはありませんから、映像による再現のハードルが低いともいえそうですね

麻倉氏:映像に没入するというのは8Kにとっての大きな価値であり、没入感を得るために画面との視聴距離は極めて重要です。8Kの大画面で没入感を得るのに理想的な視聴環境は0.75H(画面縦幅の0.75倍)とされていますが、家庭のテレビでこの距離というのはなかなか保てません。例えば70インチの場合は高さ90cm足らずですから、0.75Hともなると理想的な視聴距離はおよそ70cmと、まるで卓上モニターを少々離れた距離で視るといった形になります。これでは眼前に大絶壁があるという状況になり、実際は3H、つまり2.5〜3mくらいは離れてしまうのが普通です。ですが画面からこれだけ離れてしまっては「静かな画面の中に佇まいがあって、景色は動かずに人間がゆったりと動く」といった映像構成は、画的に辛くなります。

 それに対して今回の技研シアターでは300インチを3mくらいの距離で視聴しました。スクリーンの画面縦幅は3.7mですから、理想的な0.75Hに近い環境と言えます。不思議なもので、スクリーンはテレビに比べて、大画面になればなるほど相対的に視聴距離が近くなっても違和感がなくなるんです。大画面の没入感でいうと、技研シアターはちょうど目の前にスクリーンがあるという形で、映像は劇場最後方にセットされた完全に固定のカメラのものです。視界的としては舞台から10列目くらいの、観劇に最も適した景色が広がり、舞台全体を一覧できるのですが、これが物凄い臨場感なんですよ。理由としてはノイズが非常に少ない映像のため、実際の視界そのままの有り様が出てくるということが挙げられます。加えて横だけでなく縦にも広がるという8Kならではの画面からは非常に高い精細感が得られるため、人物が小さくとも何をしているかがよく分かります。最新の機材・録画なので、やはり従来の撮影よりも画質はすごく良くて、精細感や色再現性がリアルですね。

 今回の映像を観ることで、昔からいわれていた「画面は動かず自分が目線を動かして主体的に眺めることで臨場感が生まれる」という古典的な映像理論が初めて理解できたと私は感じました。この演目は舞台を2段に分けた演出をすることがあり、例えば画面上部を注視している際は、画面下部を「視る」ことはできていなくとも視界には入っているんです。2次元の中でもここまで近付いて8Kで観ることで、こういったインフォーカス・アウトフォーカスの静態的な構造がすごく楽しめます。これは舞台中継における新たな革命といえるでしょう。

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