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パナソニック100周年記念! 「松下幸之助 歴史館」に行ってきた(3/5 ページ)

» 2017年09月17日 06時00分 公開
[滝田勝紀ITmedia]

1945年第二次大戦終了後〜松下幸之助没まで

「木製探見電灯」(1945年)

 戦後、民需生産再開の先駆けとなった製品は懐中電灯だった。

丸型撹拌式電気洗濯機「MW-101」(1951年)

 松下幸之助自身がアメリカ視察の際に見た家電製品の便利さに感銘を受け、まずは洗濯機を開発。当時洗濯は主婦にとって大きな負担であり、「主婦を家事労働から解放する」ものとして売り出されたのがこちらの洗濯機だった。とはいえ、洗濯機1号機には現在では当たり前の脱水機能などは未搭載。当時の価格で4万6000円。

17インチ白黒テレビ「17K-531」(1952年)

 戦時中に開発が中断していたがテレビであったが、戦後本放送の開始を機に陽の目を見ることに。日本でテレビ放送が始まったのが1953年で、その1年前に発売されたのがこちらの17インチ白黒テレビ。当時の価格で29万円は高卒初任給の50倍以上とかなり高価だったことから、松下幸之助はもっと普通の人たちが手の届く価格帯で作らないとダメだと決意したという。

1950年代の宣伝活動

 1950年代にすでにバスなどの車両を改造し、テレビや洗濯機などを載せて、街頭などで宣伝活動を行うためのテレビジョンカーやモデルハウスなどを走らせていた。さらに良い製品であることを多くの人に知ってもらうために、電化展を開催したり、東京駅の八重洲口にナショナルショウルームを作るなど、当時から積極的に消費者に近づいていった企業であることがよく分かる。

電気冷蔵庫「NR-351」(1953年)

 テレビ放送を機に始まった電化ブームの中で販売を開始。当時はテレビ、洗濯機と並び“三種の神器”と呼ばれ、文化生活の象徴となっていたのが冷蔵庫であった。冷蔵庫は冷凍室が庫内に設けられており、これは現在でも小型の冷蔵庫などに採用されている方式。当時の価格は12万9000円。

ホームクーラー「ウィンド型W-31」(1958年)

 現在のエアコンの原型として開発されたホームクーラー。前年に事業部で水冷式ルームクーラーを開発した際、松下幸之助は「風が冷たいなぁ、いい気持ちやなぁ。これが安くできたら、世の中の人は喜ぶやろうな」と言ったと、後年当時の製造担当者は語ったという。暖房機能はなく冷房専用だったが、扇風機に代わるものとして夏に重宝された。

タクシー無線車載用ユニット(1958年)

 タクシー用無線機も開発。送受信機と電源部の一体構造で小型化され、当社民生用無線機の基礎となったベストセラーモデル。元々はラジオの通信技術を応用したもので、この頃からB to B事業への拡大も視野に入れていったという象徴的アイテム。 同年松下通信工業を設立。

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