ITmedia NEWS >

「世界よ、これが日本のブランドだ!」――麻倉怜士のIFAリポート2017(後編)(3/4 ページ)

» 2017年10月20日 16時28分 公開
[天野透ITmedia]

麻倉氏:テレビの話題も面白いですが、ドイツにおけるパナソニックの大きな話はやはりベルリン・フィルでしょう。ソニー撤退後にベルリン・フィルとの協業が発表されたのは、昨年のIFA特集でお伝えしたとおりです。この時は具体的な協業内容はこれからという状況でしたが、今年9月の新シーズンからは、いよいよ本拠地フィルハーモニーでパナソニックの機材を運用開始します。収録は4Kですが当面は2K配信で、4K配信は来年からになるそうです。

――昨年一報を聞いたときはかなり驚きましたが、いよいよカタチになってきましたね

麻倉氏:パナソニックは機材と撮影ノウハウを提供し、一方ベルリン・フィルは音のノウハウを提供します。これが非常に大事なのです。というのも、テクニクスブランドでは本格オーディオを目指して「Re discover」で音楽性を特に主張しています。そこで「ベルリン・フィルの音って何だ」が分かれば、デジタル・コンサートホールをハイレゾで配信した時の音に価値が出るでしょう。ベルリン・フィルが意図した方向の音がテクニクスの機材で出るならば“テクニクスの機材で聞くほうがより生に近い”となるわけです。

 オーディオには送り手があり、伝送があり、そして再生があります。この“送りと再生の方程式”が一般化できれば、ベルリン・フィルに限らず、ジャンルもプレーヤーも選ばない“オーディオの理想郷”へ到達するでしょう。送り手の意図や魂・価値といったものを信号化して送る、それを元に戻す時に音のスピリット・音楽性を再現する、これがオーディオという行為です。これがもしキチンとできるのであれば“再生力”が強くなるというわけです。

 ベルリン・フィルとの協業成果としてユニークな製品が、テクニクスがサウンドチューンをしたテレビ「EX850」です。音作りのアドバイスでベルリン・フィルのトーンマイスター、クリストフ・フランケさんが監修しており、音にこだわった“ベルリン・フィルテレビ”なんです。これがなかなか感動モノです。テレビの音というのは一般的にそれほど大きな音では聞きませんが、EX850ではカナリ大きな音を出してもしっかり再生します。低域の力強さと中高域の躍動感は特に顕著で、これがベルリン・フィルらしいですね。

フィルハーモニーのゲストルームで“ベルリン・フィルテレビ”こと「EX850」のサウンドをチェックする麻倉氏。閻魔帳にインプレッションメモが刻まれていく

――なんでも、フランケさんのアドバイスは「何Hzの音を何db上げ下げして」といった、かなり細かいオーダーだったそうです。しかもそれで劇的に音が改善するのだとか。さすがデジタル・コンサートホールの“音の番人”ですね

麻倉氏:テレビの小さなスピーカーでもそれなりに雰囲気がベルリン・フィル的で、音のビビット感や速い進行感、低域のしっかりした安定感が感じられます。デバイスが小さくそれほど高性能でもないので、明らかに低域と高域のスピード感が違って、低域が高域を追いかける音になるのは残念な点ですが。ここはやはり限界があります。

 でもテレビの音としては、なかなかここまでリアリティーや活気のあるものはなかったでしょう。次のベルリン・フィルテレビでは出来合いのものを使うのではなく、是非専用ユニットの開発からこだわってほしいところです。

コントロールルームの機材もパナソニック製に一新。来年からは4K配信も始まる

麻倉氏:ベルリン・フィルの協業としては、テクニクス技術者の2カ月にわたるベルリン・フィルハーモニーでの研修が大きなトピックです。“トレーニー”として実際に研修を受けたエンジニアの池田純一さんはその後に社内のベルリン・フィル代表となり、ほかのエンジニアに教えるというプロセスがスタートしました。「ベルリン・フィルの音とは何か?」「どのようにベルリン・フィルの音を伝えるか?」このような哲学的な部分を実地で学ぶものです。即効性はありませんが、時が経つに従ってどんどん色が濃くなり、やがてはブランドにとって唯一無二の財産となるでしょう。

――世界最高峰の楽団から音楽哲学を学べることに対しては、テクニクスブランドを統括する小川理子さんも「得難い経験で、やがてテクニクスの糧となるでしょう」と、非常に大きな価値を感じていましたね

麻倉氏:その内容ですが、まずブリーフィングによって楽団やホール、指揮者の歴史、各年代の指揮者による音の違いといった基礎知識を固めます。フルトヴェングラー、カラヤン、アバドといった、各常任指揮者の音源をフランケさんが直々に解説しながら聞くというものです。是非私が受けたい、何と羨ましい!

 次のワークショップでは、ベルリン・フィルの音について理解を深めます。オーディオ技術者は一般的に周波数軸で音を考えますが、それだけではなく時間軸の再現性に注目しなければならないというのが重要な点です。音楽家は音程だけではなく音の流れにも非常に敏感です。音の立ち上がり/立ち下がりをはじめとした時間軸の要素がきちっと再現されて、初めてベルリン・フィルの音が出るというわけです。

 そのほかベルリン・フィルの音としては、腹の底から出る重厚な低音、躍動感と透明感、各楽器の音のタテ(出音のタイミング)、広いダイナミックレンジ、ホール残響といったものがあります。これらの音楽的な要素を、オーディオ技術によって如何に再現するか。技術と芸術という“点と点をつなげる”のが研修の目的の1つです。

 研修では実際にどんなことを教えたのかをフランケさんに聴いてみました。1つは音色をちゃんと捉えることです。オケの演奏が暗い、明るい、透明感があるなどを突き詰め、これをキチンと言葉にすること。これが重要だと。フィーリングだけではなく、音の特徴・音色を言葉にして出力することで、初めて自分のものになるのです。

――コレはすごくよく分かります。というのも僕は文学を専攻していたのですが、その発端はある日「人間は基本的に言葉を使って世界を捉える」と思い至ったからなんです。だから言葉を豊かにすると自分の世界が豊かになる、と。世界を変える天才アーティストは言葉を飛び越して表現で思考して語りますが、それを読み取る多くの人はやはり言葉を依代にします。だから言葉は重要なのだと僕は考えています。

麻倉氏:もしこれがミュージックラバーのリスナーならば、ここまで深く入り込む必要はありません。単に音楽に感動するか否か、それだけでいいわけです。しかし音を仕事にするならば、暗い音は暗い音、明るい音は明るい音で出すことが必要となります。音楽を再生機器のクセに引き寄せて、その範囲で表現していてはいけない。あくまで音楽が主体であり、音楽が目指すものを再現することが再生装置として重要です。

 ところがオーディオ技術者というものは一般的に音楽では育っていません。配線図やソフトウェアといった、テクノロジーとエンジニアリングの世界を主体に考えます。しかしそれで創り上げたものが目指すものは、論理ではなく感性の世界。これがオーディオで非常に難しいところなのです。

 また、これまでのオーディオは“再生の理想”を誰かが練り上げて音作りをしていました。しかしこれが果たして元の音を目指していくのか否か、それはまた別の問題でした。

 今回ベルリン・フィルの教えを受け、ベルリン・フィルの最終的な音を知った人が音作りをすることで、これまでの無手勝流とは違った、音の方向性の統一がテクニクスはできるようになり、音楽の再生に対してより可能性が開かれました。もちろんこれだけで良い音になるかというのは別問題ですが。

1年ぶりの再会となった麻倉氏とクリストフ・フランケ氏
“トレーニー”としてフランケ氏に2カ月間の“弟子入り”をしたという、テクニクス技術者の池田純一氏。この経験がやがてテクニクスの音楽哲学を大きく動かしていくのだろうか
テクニクスブランドのリーダーを務める小川理子氏。音楽そのものとの向き合い方を説いたフランケ氏の教えを、自身もピアニストである小川氏は「テクニクスの財産」と表現した

麻倉氏:さて、フィルハーモニーは素晴らしく解像感が高いホールですが、同時に響きの明瞭(めいりょう)度も高いことが特徴的です。響きが覆うのではなく、まず直接音、そこに響きが乗るようなサウンドを聞かせてくれます。

 毎年IFAの時期はフィルハーモニーを中心に「ベルリン音楽祭」が開かれており、今年はモンテヴェルディのバロック・オペラがメインでした。ですが私が最初に聞いたプログラムはバレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンによるブルックナー8番、最後のプログラムはブルックナー9番で、演奏はダニエル・ガッティとロイヤルコンセルトヘボウによるものでした。これが非常に面白い体験で、同じ作曲家の曲を同じホールで聞いて、これほどオケの音が違うかと感じました。

 シュターツカペレ・ベルリンは細かい部分にトゲが立たず、全体像の中で収まる様な演奏です。ヴィルトゥオーゾ的な感じはせず、お互いのバランスで成り立っています。それにバレンボイムの重厚感があって堂々とした音楽作りが加わり、互いのバランス感覚をまるで傘のようにして、とても気持ちよく保っていました。

 一方のロイヤルコンセルトヘボウですが、こちらは全員がソリストのように音が立っています。パートはもちろん、ヴァイオリンの中でも明るい楽器や暗い楽器といた各奏者が浮き立ち、それが一体となって“楽団の音”を構成するという様子です。奏者間の解像度が凄く高く、音色もきらびやかで芳醇、キメが細かいですね。特にブルックナーの全奏は、弦の低域/中域/高域/木管/金管と、これらが一緒になった時の合奏感が、“違う音が立ちながら一緒になっている”という具合に出てきます。

フィルハーモニーを取材した時は、ベルリン音楽祭で上演されるモンテヴェルディの照明チェック真っ最中。新調された4Kマスターモニターにもその様子が映る
フィルハーモニーのゲストルームにはテクニクスの機材が常設されている。新発売の「OTTAVA f」も仲間入り

――群れを“1つの楽器”とするシュターツカペレ・ベルリンに対して、群像劇が1つの作品になるロイヤルコンセルトヘボウですね。音楽に対するアプローチは違いますが、どちらもブルックナーとして成立するのが面白かったです

麻倉氏:君は表現が上手くなったね。そう、こういったオケの違いが分かるホール、それがフィルハーモニーなのです。その中で演奏される音が、テクニクスによって家庭や車室でどのように再現されるか。そんな音楽的な面白さには大変に興味を惹かれます。そういう雰囲気はベルリン・フィルテレビでもそこそこあったのですが、研修によってこういったものが分かるようになってくると、テクニクスの音がますます楽しみになりますね。これからに大いに期待しましょう。

次の大きなプロジェクトとしてテクニクスは現在、ハイエンドターンテーブル「SP-10R」を鋭意開発中。画像右はテクニクスCTOの井谷哲也氏

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.