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» 2010年11月01日 16時30分 UPDATE

小寺信良「ケータイの力学」:コミュニティサイトは、言われているほど問題か

フィルタリングサービスなどを通して、子どものインターネットアクセスは制限され、コミュニティサイトは認定された“安全なサイト”以外にはアクセスできなくなっている。この状態は、本当に子どもにとって幸せな状態なのだろうか。

[小寺信良,ITmedia]

 公開されてから少し時間が経っているが、今年3月に文科省が発表した「青少年が利用するコミュニティサイトに関する実態調査報告書」という資料を見ている。いわゆるコミュニティサイトにおける子どもたちの利用実態を調査したものだ。

 中味を見ると、注意を要する投稿74%、問題のある投稿26%などとおどろおどろしいグラフが並び、コミュニティサイトというのはこんなに問題だらけなのか、といった印象を持たれるだろう。だが実はこの報告書では、最も重要な点がさらりとしか書いていない。それは、利用者全体に対してどれぐらいの割合の書き込みが注意を要し、または問題のある投稿であるかという事である。

 この数字は冒頭の「調査の概要」の数字をよくよく読まないと分からない仕掛けになっている。これを紐解いていくと、調査期間に約10万件の投稿があり、その中で問題があると思われる投稿を抽出したところ、6158件であった、という事である。つまり投稿数全体に対して何らかの問題があったのは、率にしてたったの6%しかないということだ。報告書の中味は、この6%に対しての分析である。

 調査を委託した財団法人インターネット協会(インターネットユーザー協会ではない)は、警視庁の外郭業務請負団体なので、問題の中味の分析に関してはエキスパートであるが、実に94%にも上る問題のない投稿の傾向などは、調査されていない。つまり子どもたちがどのようにコミュニティサイトを有効的に、あるいは友好的に利用しているか、ほとんどの子どもたちがちゃんとできていることに関しての実態や傾向というのは、いまだ一部の関係者が体感的に掴んでいるだけで、誰も体系的に調査したことがないのである。

 問題の6%という数字は、複数のコミュニティサイトを無作為抽出したわりには、かなり優秀な数字であると言えるだろう。例えばこれを学校のクラスに置き換えてみると、今の1クラスの人数は30人程度なので、1.8人。すなわちクラスの中に1人か2人は「ちょっと問題あるのよねー」という子がいるという比率である。現実問題として、クラスに問題のある子が1人もいないというケースはまずないわけで、この1人か2人程度という数字は、かなり優秀であろう。皆さんも自分の子ども時代を振り返ってみてほしい。クラスの問題児は1人2人で済んでいただろうか?

 個人的な経験では、学年が進むごとに「こいつちょっとアレだよなー」ってヤツは増えていった。特に中学校2年生あたりが一番ひどくて、クラスに5〜6人はいたと思う。それが中3では高校受験を控えて、次第に大人しくなっていった。

 筆者の通った高校はかなりの進学校だったので、入学時には問題がある学生は少なかったが、次第に学年が進むごとにクラスに2人3人と増えていった。この6%程度の数字というのは、どんなに選別したとしても現われてくる問題の数字として、ある程度人間社会における均衡ポイントなのじゃないかという気がする。

隔離されてゆくコミュニティサイトの危険性

 青少年のネット利用に関しての調査において、公開して問題があるとされている情報の収集方法にも、実はおかしなところが沢山ある。一般に公開して問題があるとされている情報の種類としては、本名、年齢、学年、学校名、住所、メールアドレス、電話番号などがある。しかしこれらは本当に、公開して問題があるのかどうかをよく吟味する必要がある。

 例えば本名を公開することは、本当に問題なのだろうか。例外的に、ものすごく特殊な名前、おそらく日本に2人と居ないのではないかと思われるような特殊すぎる名前の場合は、それがいじめや揶揄の要因になることも考えられるが、おそらくほかにも同じ名前の人はいるような名前の場合、姓名だけが分かっても、それに紐付いたほかの情報がない限り、どうということはないのだ。

 本名と学校名、学年という組み合わせでさえ、何かのコンクールで入賞したり、あるいは甲子園に出場したりすれば、新聞やテレビで公表される。コミュニティサイトだけそれらを自己申告することが問題という基準は、おかしい。これでは優秀な子は名前が名乗れて、そうではない多くの普通の子はいてもいなくていいということになってしまう。自己顕示欲は誰にでもあり、それが頑張る原動力となる。先生や自治体などの視点で計った優秀さではない基準で、人に知られるということがあってもいい。例えばギターが上手いとか、占いが得意とか、そういう基準だ。

 そもそもそういった個人のアイデンティティを示す情報もなしに、あるいは実際に会って話をしてみる以外に、信頼できる仲間を探したり出会ったりすることは不可能である。それなのに社会は、新社会人となる学生達に高いコミュニケーション能力を要求している。

 子どもは子どもだけ、と言った具合に隔離してしまっては、社会が求めるコミュニケーション能力は身につかない。年齢差がある人達と一度も接触したことがない人間が、いきなりおじさんおばさん達の間に入ってうまく話ができるわけがなかろう。これからの日本の社会には高いコミュニケーション能力が必要だとするならば、ネットを上手く利用して、自分と相手の立場の違いを把握した上で、上手く付き合っていく方法を学ばせなければならない。

小寺信良

映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作は津田大介氏とともにさまざまな識者と対談した内容を編集した対話集「CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ」(翔泳社)(amazon.co.jpで購入)。


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