ITmedia NEWS >

AppleとIntel、30年にわたる数奇な関係(前編)(2/3 ページ)

» 2005年06月20日 06時15分 公開
[林信行,ITmedia]

キューピッドになり損ねたビル・ゲイツ

 Appleが、宿敵Intelと手を取る可能性を生んだ最初のできごとは、1985年に起きた。運命のキューピッドになろうとしていたのは、何を隠そうあのビル・ゲイツだ。

 当時、IBM PCにMS-DOSというOSを提供し、大躍進をしたMicrosoftだったが、彼はMacというパソコンの大ファンでもあった。彼は当時のAppleのCEOに送った密書の中で、Macは素晴らしいパソコンだが、アーキテクチャをオープンにしないことには、業界標準とはなりえない、と提案した。

 この一大スクープは、サンフランシスコ市在住のWall Street Journalの記者、ジム・カールトンが発掘し、「Apple」という本(ジム・カールトン著、山崎理仁訳。早川書房刊)で詳しくまとめている。

 同著によれば、このゲイツの提案を受けて、AppleにIntelプラットフォーム移行の最初の提案をするのが、当時、同社で投資家担当役員だったダン・アイラーで、AppleはMS-DOSに対する優位性を知ってもらうためにも、Mac OSをIntelプラットフォーム上で動かすべきだと提案している。

 しかし、当時のAppleの首脳陣、特に技術担当のジャン・ルイ・ガセーはこの計画に大反対する。

 Appleの優れた技術力を持ってすれば、やがてMacがスタンダードになる、というのが当時のAppleの首脳陣の考え方だ。

 いや、理由は他にもあったのかもしれない。当時のCEO、ジョン・スカリーを、1997年にインタビューした時、彼は「我々にはライセンスできるものなど、何もなかった」と言っていた。

 Macは、IBM PCと違い、ハードとソフト(OS)が密接に結びついたパソコンだった。それだけにこれを他社にライセンスするには、ハードごとの最適化も大変になってしまう。特に当時のIntel系のCPUで、MacのGUIを心地よく操作できるレベルにしあげるのは至難の業だったと言う。

 状況が変わったのは、Appleが、Mac OSの最初のメジャーアップデート、System 7を発表した1991年前後だ。この頃にはIntelも、本格的な32ビットCPUの「i386」や浮動小数点演算ユニットやキャッシュメモリを内蔵し、大幅に性能アップした「i486」が登場し始める。

 Appleが、Intelに再び接近したのは、ちょうどこの頃だった。

スタートレックの船出

 1992年、AppleがSystem 7を無事出荷し終え一段落しているところ、同OSのチームのプロジェクトマネジャー、ギッフォード・カレンダから再び提案があった。MacはSystem 7を、Intel製CPUで動かすようにできないか。

 この時の提案はタイミングがよかった。それと前後して、企業で大きなシェアを持つネットワーク用ソフト「NetWare」を作っていたNovellが、同じ提案をしてきたのだ。Novellは、MicrosoftのWindowsが勢力を増す前に、その代替となるクライアントOSが欲しいと思っていた。同社が、そこで思いついたのがIntel版Mac OSだった。同社は単独でつくることも考えたが、Appleに訴えられるのを恐れて、相談をしてきた。

 こうして、AppleとNovellのエンジニアをあわせた秘密の開発チームが誕生した。これが一部で、有名な「スタートレック」プロジェクトだ。SFテレビシリーズ、「スタートレック(宇宙大作戦)」の冒頭で毎回流れるナレーションに「人類未踏の地に勇敢に航海」(“Boldly go, where no one has gone before”)というくだりがあるが、Appleのスタートレックも、これまでのMacが旅をしたことがないIntelと言うプラットフォームに勇敢に船出するOS、ということでこのコード名がついた。

 実は、このスタートレック計画は、Intelお墨付きの計画だった。Intelのアンディ・グローブCEO(当時)は、Intel役員の1人を通じて、ジョン・スカリーと秘密の面談を持ち、Intelの将来の製品計画を語った。Appleの重役は、その意欲的な計画に圧倒され、スタートレック計画を真剣に受け止め始める。

 Microsoftへの完全依存を恐れていたグローブは、AppleこそがIntel製CPUの真価を引き出してくれるメーカーだと長年信じてきた節がある。

 Appleは、スタートレック計画に先駆けて、IntelCPU版の「QuickTime」を完成させていた。当時、Intelは独自のマルチメディア技術を開発していたが、その一方で、AppleのQuickTimeのことも高く評価していたという。

 こうしてスタートレック部隊は、Intel本社すぐ近くのビルに居を構え、全スタッフがApple提供のMotorola製MC68040を搭載した「Macintosh Quadra」と、Intelが提供したi486搭載のPCを横に並べて、徹夜続きの移植作業を始める。もし、Intel製チップについての質問があれば、Intelの技術者が即座に答えてくれた。

 こうして、Appleは数カ月で、当時のMac OSのほとんどすべての技術をIntelCPUに移植し、重役達の前でデモをしてみせた。中でもすごかったのは、「QuickDraw GX」といグラフィックス技術を使って、画面を文字が自由に形を変えながら飛び回るというデモで、当時のMS-DOSやWindowsでは、およそできないことだった。このデモを実際に見た人物によれば「HyperCardがフルスピードで動くくらい速かった」らしい。

次ページ:そして、PowerPC連合へ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.