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第5章-1 ガンダムのふくらはぎと「システム生命」人とロボットの秘密(2/3 ページ)

» 2009年06月01日 17時13分 公開
[堀田純司ITmedia]

 生物は、このように、初期の論理的な計算から、ゲームオーバー直前の「とにかく動いてみる」という感覚的な判断まで扱えるが、慶應義塾大学の吉田和夫教授が見せてくれたそのロボットは、おもしろいことに論理的な計算だけではなく「とにかく右に落としてみる」という直感的な制御も可能。そして普通の人間よりも優れた成績でテトリスをプレイすることができる。しかもそのプレイの様子は、なんだかとても生き物らしいのだ。

 ゲームで人間に勝つことなら、すでにコンピューターはチェスの世界チャンピオンにだって勝っているではないか、と思われるかもしれない。

 確かにIBMのスーパーコンピューター、「ディープ・ブルー」が、チェスの世界王者、ガルリ・カスパロフを負かしてしまったのは1997年のことだった。これはもちろんすばらしい成果なのだが、しかしあれはデータマイニングという手法を駆使し、考えられるシナリオを強力なマシンパワーですべて洗い出し、そこから過去の棋譜などを参考にして相手の手を予測していくという、いわば“力業”の勝利だった。だが教授のロボットは違う。

 ブロックがひとつ落ちてくるたびに、瞬時に何万通りにもおよぶすべての可能性を洗い出しているのではない。考えられるシナリオをすべて洗い出すのではなく、ロボットにテトリスというゲームの原理原則を教え、ロボットはその原理と自分の操作を照らし合わせながらプレイしているのである。そのため、教授のロボットは、ディープ・ブルーのような強大なマシンパワーを誇る演算装置ではなく、ごく普通のスペックのマシンである。

 筆者は教授にその映像を見せてもらったとき、人間のパートナーとなる機械の開発の鍵は世界王者を負かす強大なマシンではなく、このテトリスに興じるロボットにあるのではないかと感じた。これは単なる直感ではなく、根拠はあるのである。

 大阪大学が行っている「ゆらぎプロジェクト」のシンポジウムで指摘されていたのだが、ほとんど脳を持っていないショウジョウバエが上手に障害物をよけて飛行する様子を、神奈川県横浜市に設置された世界トップレベルのマシンパワーを誇るスーパーコンピューター、地球シミュレータが模倣できずにいるという。

 これは生物と機械のふるまいには、なにか根本的な違いがあるとしか考えられないことを示している。単純にコンピューターの性能が上がれば、やがて生物の頭脳に追いつくというわけではないらしい。

 ではどうすれば生物の行動を機械で実現することができるのだろうか。その鍵はスーパーマシンによる膨大なシナリオの検証ではなく、まず機械に存在の原理原則、いわばアイデンティティを与えるところからはじめる吉田教授の研究にあるように感じられるのだ。

機械にアイデンティティを持たせる設計論

 吉田和夫教授は慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科の教授。もともと機械や宇宙における構造物の振動制御など大規模構造物の振動問題の研究者であり、機械の動作を制御する技術を専門としていた。その研究分野は、宇宙における構造物から原子力発電所の耐震設計、材質自体がセンサーや自己修復の機能を持つスマートマテリアルや、さらにそれを拡大させたスマート構造など多岐にわたる。そうした吉田教授が提唱する新しい機械の設計論が「システム生命」だ。

 たんぱく質の結合から進化し、その適応の情報を遺伝子にたくわえてきた生物と、最初から今あるがままにつくられた機械。両者の違いはいったいどこにあるのだろうか。

 前者がその存在原理──アイデンティティを自分たちの中に持っているのに対して、他者によってつくられた機械は、アイデンティティを自分では持っていない──と吉田教授は指摘する。

 自律的にふるまう機械を開発する。そのアプローチは、実は初期から現在まで変わっていない。開発者は「if 〜(もし〜なら), then 〜(こうせよ)」という?シナリオ?を想定し、機械にプログラムしてきたのである。こうした試みは、産業機械のように閉じた空間で稼動する機械では成果を上げた。

 そして研究者は、現実の世界で活動できる機械をつくるためによりシナリオを緻密に、あらゆる事態を想定して充実させようとしてきた。しかしこのアプローチには限界があったのである。

 研究者が準備した空間でいかにたくみにゲームを行っても、それはあくまで与えられた小宇宙でのふるまいである。

 これは哲学者、ヒューバート・L・ドレイファスがとうの昔に行った指摘であり、しかも現在でも有効性を持つ批判なのだが、現実世界はすべてつながっており、ある限定世界だけを独立させ、分離することはできない。だからプログラムの中にだけ存在する小宇宙を、現実世界と同一視することはできないのである。

 シナリオベースのプログラムは、人間が決めたルールの範囲内では優れた性能を発揮し、人間のチェス王者を破る機械も登場した。

 しかしゲームの小宇宙から一歩外に出して現実の空間に置いてしまうと、最強のコンピューターを駆使しても、昆虫のような単純な生物の行動すら模倣することができないでいる。どうやらコンピューターの性能が上がっていけば、やがては人工生物が誕生するといった簡単な話ではないらしいのである。

 両者は根本的に異なる原理で動いていると考えるしかない。では、その謎を解く鍵はどこにあるのだろうか。一時は、鳥や魚の群れの複雑な動きが、簡単な規則を与えることでシミュレートできるという複雑系の研究に、その答えがあるように考えられていた。事実、あらゆる事態を想定したシナリオではなく、簡単な規則だけを与えられた機械が、複雑な社会的行動と見られるようなふるまいを見せて注目を集めた時期もあった。

 しかし、こちらはこちらで「では次の段階にはどう進めばいいのか」という壁にぶつかってしまったのである。

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