他分野の専門家と協同し、無意識に実践されている人間の機能を定量的に理解する。その最たる試みとして、高西教授は「情動方程式」という意識のモデルを提唱している。
ここ10年ぐらい取り組んでいる研究に、顔ロボット──情動表出ヒューマノイドといって、人間とコミュニケーションするためのロボットがあるんです。文学部の心理学教室の先生にいろいろご指導いただきながら取り組んでいるのですが、このロボットでは心のモデルをつくっていきたいと考えています。心を、実際につくってみようと。
もちろん人間の心は非常に複雑で、それを機械で再現するところまではとても行けてはいません。ただ「心のエッセンスとなるものってなんだろう」と考え、そのエッセンスを工学的に解釈すれば心のモデルをつくることはできるんじゃないかと考えています。
アナロジーという言葉がある。研究とは不思議なもので、ひとつの分野を深く知れば、他の分野の知識もその類推から、最初から単独で勉強するよりも早く獲得できるものだと教授は語る。
たとえば「マックスウェルの方程式」という電磁場理論の基礎方程式は、「ナビエ・ストークス方程式」という、流体力学の方程式とほとんど同じ形態でできている。もちろんマックスウェル自身がたいへんな天才で、彼の方程式は大発見なのだが、おそらく他の分野の理論の理解が、彼の独創の下敷きになっているのだろうと。
我々の場合は、機械工学という学問分野を背景にしています。そこでいろいろと習ってある程度経験が重なってくると機械工学を通して、電気工学のこともはるかに早く吸収できたりするようになるんです。
そこで「情動方程式」の話なのですが、機械工学も電気工学もすべての事象を微分方程式で書くことができます。これを専門家は「時空構造の開示」と言いますけど、森羅万象のほとんどを微分方程式で表現できるんですよ。
「その微分方程式とはなにか」というと、ある一瞬、ある場所、その一瞬の状況だけを開示するもの。逆に、その一瞬だけではなく、全体がどうなっているかを知るためには、今度は積分を行う必要がある。そこで教授は「これは人間の人生や心と同じではないか」と思い当たった。
その人の人生といっても、静止した人生などない。過去の一瞬一瞬の積み重ねで、今ここにその人がいる。悲しいことがあって落ち込んだ瞬間や、うれしい瞬間が積み重なって、その人の心が今ここにある。人の心の今は過去に依存している。これら過去から今への系を、数学者は力学系というし、我々工学者は「ダイナミックス」とか、「ダイナミックな現象」というように呼んでいる。
自分があり、その自分が世界と相互作用し、外界の情報とその反応が一瞬一瞬積み重なってできあがっていく。心の動きといっても、この営みはまさに工学の力学系の作用と同じなんですよ。これはまさに我々が機械工学で取り扱う「ダイナミックな現象」とまったく同じじゃないか。そう考えたときに「人の心も微分方程式で書けるんじゃないか」と思い当たったんですよ。
その「情動方程式」を実際に応用しているのが、情動表出ヒューマノイドロボットWE‐4RIIである。心をつくるためには、どんなに優秀なコンピューターをつくってもそれだけではだめで、外からさまざまな情報を受けて、その情報刺激によって内部状況がかわるという状態にコンピューターを置かないといけない。つまり体が必要なのである。
情動表出ヒューマノイドに搭載されたコンピューターは、一瞬、一瞬の心の動きについて定義されている。そしてその定義を、外界から受け取った刺激で積分し、彼が感じた情動をしぐさや表情で表現する。さらにその行動自体によってまた新しい刺激を受け取り、そうして心の動きができあがっていく。「顔ロボット」では、こうした試みに挑戦しているのだ。
いかがだろうか。体、芸術、心。多分野にわたる総合的な研究に挑む教授の姿勢からは、いかに人間が膨大であろうとも各分野からひとつひとつ解読していけば、いつかは人間全体のモデルが手に入るという楽観と、覚悟が伝わってくる。教授の研究にはそれだけの実績があるのだ。
しかし、諸分野の研究をつなぎあわせて、心も体も持った人型ロボットの設計論にまで到達するのが、いつになるのかはまだわからない、と教授も認めている。それは100年、あるいは200年先になるのかもしれない。だが、研究室で教授はこのようにいう。
「しかし、入り口には立ったんじゃないかと考えています。ぜひ実現へのブレイクスルーを自分の手で達成してみたいです」
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ノンフィクションライター、編集者。1969年、大阪府大阪市生まれ。大阪桃山学院高校を中退後、上智大学文学部ドイツ文学科入学。在学中よりフリーとして働き始める。
著書に日本のオタク文化に取材し、その深い掘り下げで注目を集めた「萌え萌えジャパン」(講談社)などがある。近刊は「自分でやってみた男」(同)。自分の好きな作品を自ら“やってみる”というネタ風の本書で“体験型”エンターテインメント紹介という独特の領域に踏み込む。
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