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Kindle時代のテキストとは ARに見る未来、「セカイカメラ」実験から得たもの(3/3 ページ)

» 2010年02月25日 14時31分 公開
[よくわかるARの会(仮rev),ITmedia]
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 またハッシュタグを設定したのですが、こちらの準備不足もあり、活発な議論に至りませんでした。これは大きな反省点です。

 しかし一方、エアタグの「区別がつかない/内容が分からない」ことを逆手にとった「ARおみくじ」は大変に好評でした。よって、現状のエアタグは、その設計思想から、利用者にとっては「なにが出てくるかわからずドキドキ開ける」玉手箱のような存在になっていると言えます。気をつけなけばならないのは、利用者は、当然、ある期待値を持って玉手箱を開くということです。エアタグに書かれた内容が利用者の期待値以下であることが連続すれば、利用者は、それ以降玉手箱をわざわざ開けてくれなくなってしまうでしょう。なにげない「つぶやき」をエアタグとして利用者が見るインセンティブは低いが、ゲーム感覚的方向に可能性が開けていると感じられる結果となりました。

喪われた身体性 コミュニケーションツールとしてのAR

 あらゆる公開されたデータのメタタグに位置情報がついたとき、人はデータを、(1)キーワードで検索して見る、(2)タイムラインを追ってで見る、(3)範囲指定で見る――ことができるようになります。現状のコミュニケーション指向ARというのは、(3)を限定した形で、現地にいる人たちだけに見せていると言えます。

 さて、ここで問題です。

 なぜ、利用者は、範囲指定のデータを見るのにわざわざ現地へ行き、現実世界の風景に重ね合わせて見なければならないのでしょうか? ARで提供されるものが単なるコンテンツなら家で見ればいいです。そのコンテンツをネタにして盛り上がるコミュニケーションも、ケータイの登場以降は時と場所を選ばなくなりました。広告主は「その地域を通過する人に向けてだけ広告を打ちたい」だろうし、観光地は付加価値によって人を呼びたいでしょう。しかし、どちらの思惑も利用者にとってはまったく関係がないことです。

 書籍が電子データになったように、我々が扱うデータはすでに身体性を喪って久しいと言えます。ここで、もうひとつおもしろい動きがあります。2009年から2010年にかけて、ARG(Alternate Reality Game/代替現実ゲーム)と呼ばれるものが勃興しはじめ、2010年2月現在、Twitterを中心にプレイヤーによる活発な交流が行われています。ARGをごく簡単に説明すれば「参加者の行動に応じて展開が変化する、現実世界で行われるゲーム」となります。現実世界の場所やモノに別の意味を重ね、プレイヤーに考えさせるこのゲームは、ARと親和性が高い(余談になりますが、西新井エクスペリメントでも、ARGを念頭に謎解きと解答・そこから立ちあがるストーリーを用意していました。ちょっとやりすぎたのか「難しい」という意見が多かったのですが)。

 書籍が電子データになろうとしている一方で、身体性を伴ったゲームに興じる人々が現れはじめているこの流れは、なかなか興味深いものがあります。もしかすると、喪われた身体性を人々に取り戻させることがARには求められているのかもしれません。しかしここでも、AR/ARGはコミュニケーションのきっかけであり、コミュケーションそのものは、場所を選ばぬTwitterで行われていることには留意しなければならないでしょう。

 これも余談ですがジェームス・キャメロン監督の映画「アバター」は、身体性を喪った現代人が、アバターを介して身体性を回復する快感が作品をドライブしていました。1999年の映画「マトリックス」では、身体が感じるのは対極の悪夢であり、心による身体の凌駕が覚醒のキーだったのとは反対です。身体性を回復することは、現代コンテンツのひとつのテーマであり、ARは従来のフィクションとはまた違った、より直接な身体性の快感を提示していくことになるのかもしれません。

ARは地図情報に勝てるか

 このままiPhone/ケータイが進化していけば、画面の表現力は上がっていきバッテリー寿命も伸びるでしょう。起動だって速くなるし、ユーザーインターフェースも改良されます。ただ、ARを見るデバイスがメガネになることはないでしょう。これは自分がメガネ好きだからこそよくわかるのです。また、多くの人がiPadのような巨大な物体を持ち歩いてAR情報を見るような風景も考えにくいです。よって、当面のあいだ、AR情報は、ケータイのようなちいさな画面を通して見ることになるでしょう。

 このときもっとも問題となるのは、実用目的のAR情報が、はたして、画面の地図上に表示された位置情報に勝てるのかどうか、でしょう。iPhoneのGoogleマップは非常に便利ですし、マップに表示される位置情報とチャットのみで進行する「AR鬼ごっこ」は、現状で、すべてのAR系の遊びの中でもっとも完成された楽しさをもっています。配信される情報にゲーム的な楽しさがなければ、人々はARを使ってくれない可能性があります。

ARと「リア充」

 ここまで書いてきて、ひとつ気になることがあります。それは、「ARはリア充のものになっているのではないか?」という危ぐです。「電脳フィギュアARis」が画面の中で立ちあがったあの日、初音ミクが立ったあの日、そういうものの先にARはあると思っていたのに、なんか違うんじゃ? そう考えている人は多いのではないでしょうか。「空飛ぶ広告でコミュニケーションってフィリップ・K・ディックの世界みたいだね」などとスノッブな台詞を口にする未来が欲しかったのではないはずです。あえて言うなら2番目の人生風のにおいというか、そんなものをARに感じている人もいるのではないでしょうか。

 先日、高校生らしき男子2人が電車の中で、『ジョ○ョの奇妙な冒険』という漫画作品について「あれはマイナーだよ」「いやメジャーだ」と議論を交わしている風景を目撃して面白く感じました。前者は「もちろん人気作品なのだけど、いわゆる“ビッグマイナー”と呼ぶべき作品だ」と主張し、後者は「メインストリームが衰退した日本社会において、もはやメジャーとはビッグマイナーだ」と主張しているわけで、これは視点の違いがあるだけで、どちらが正しいという問題ではありません。しかし後者の主張には、メジャー=リア充世界型のスキームが、本来ビッグマイナーである創作物の世界に手を出したがっているという世界観が垣間見えてそれは面白いです。

 ただ、リア充界的スキームは、ことキャラクター分野に関して、映画やドラマなど2次展開では成功しても「そもそも1次作品をつくる」領域ではなかなかうまくいっていないと感じます。キャラクター分野の作品は、リア充界的スキームに相容入れぬ情熱めいたなにかが、今でも支えているのでしょう。古くはハイパーリンク、以降もブログしかり、SNSしかり、Twitterしかりで、デジタルの新顔にはリア充界が投資を煽りたがる傾向があります。ARは「リア充界的スキームに相容れぬ情熱めいたなにか」が作品を生み出すのか、それともすっかり悪い方向で可能性が消費されてしまうのか。勝負どころだと考えています。

よくわかるARの会(仮rev)

桜坂洋

 1970年生まれ。小説家。2003年「よくわかる現代魔法」(集英社スーパーダッシュ文庫)でデビュー。「All You Need Is Kill」(集英社スーパーダッシュ文庫)、「スラムオンライン」(ハヤカワ文庫)などの作品を発表している。メガネ属性の持ち主でもある。

堀田純司

 1969年生まれ。ノンフィクションライター、編集者。編集者としては「えの素トリビュート」「生協の白石さん」などを企画編集。ライターとしては「萌え萌えジャパン」「人とロボットの秘密」(ともに講談社)などの著作がある。


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