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正義のジャーナリズムか、史上最悪の情報テロか?――『全貌ウィキリークス』で読むWikileaks(3/5 ページ)

» 2011年02月10日 21時00分 公開
[吉岡綾乃,Business Media 誠]

米国政府、そしてヒラリー・クリントンの怒り

 2010年4月のコラテラル・マーダービデオ公開、7月のアフガン戦争機密文書公開に続き、ウィキリークスは10月、イラクからの戦争報告文書(39万1832通!)をリークした。シュピーゲル、ガーディアン、ニューヨークタイムズに加え、このときは衛星テレビ局『アルジャジーラ』、英国公共テレビ局『チャンネル4』とも協働した。

 イラク戦争はブッシュ政権下での米国最大の戦争であり、敵味方合わせて死者は10万人以上と言われる。とくに、24時間で231人が死亡した、2006年11月23日の戦闘(「イラクの自由作戦1万3450日目」と呼ばれる)についての報告文書が公開されたことへの反響は大きかった。アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチといった団体が公然と米国政府を批判し始めたこともあり、米国政府のウィキリークスへの怒りは強まっていった。

米国務長官、ヒラリー・クリントン

 さらに11月末、ウィキリークスは米国防総省(ペンタゴン)の25万1287件もの公電をリークした。今度は米軍ではなく、国防総省を標的にしたのである。これは世界各国にいる米国の外交官が送受信した公電で、1966年12月28日から2010年2月28日までとスパンも非常に長いが、データの中心となっているのはブッシュ政権下の時代とオバマ政権の初期だった。CSV形式で1.4Gバイトというとんでもない量のデータで、内容は世界中の大使館からワシントンへの状況報告や、米国国務省から各国大使館への指令記録からなっている。つまりこれは、米国の外交上の機密が、ウィキリークスによって丸裸にされたに等しい。

 このリークは、文字通り世界中を震撼させた。外交官が書いたうわさ話や陰口の中にはロシアやフランス、トルコ、キルギスなどさまざまな国のトップの話がやたら生々しく描かれていたし(本書には出てこないが、日本の話もおそらくあると思われる)、これまで全く知られることのなかった外交機密も明らかにされた。例えば、イランが核開発を続けることに怒ったアラブ諸国が結託してイランの核施設に共同で攻撃を仕掛けるよう呼びかけた話や、バルト三国の対ロシア防衛に関するNATOの極秘計画などといった話まで暴露されたのだ。

 米国務長官ヒラリー・クリントンがどれほど戦慄(せんりつ)したかは想像に難くない。さらにまずいことにヒラリーは、自分の署名が入った機密文書も公開された。その内容はよりによって、「国連や国連首脳を徹底調査せよ」と各国の大使館関係者に対してスパイ行為を命じたものだったのだ。

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