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「世界で一番かっこいいネットの政治メディア」を──新たな可能性を模索する津田大介さん(2/3 ページ)

» 2011年10月17日 17時27分 公開
[榊原有希,ITmedia]

 津田さんは、ミュージシャンの渋谷慶一郎さんや七尾旅人さんから、被災地で演奏したいが、地元の復興に役立つ形にするにはどうしたらよいかと相談を受けていた。被災地でボランティアをしたいが、物見遊山で行っては迷惑になるのではと悩んでいる人達がいるのも知っていた。そこで、津田さんは「全て丸く収まるイベント」を計画する。

photo 津田さんが6月11日に福島県いわき市でプロデュースした復興イベント「SHARE FUKUSHIMA」

 「まだ復旧が進んでいない豊間地区に、ボランティアを希望する100人を連れて行き、現地を見学したり、ごみ拾いをしたりしてもらう。それからセブン-イレブンを会場に、アーティストがライブを開く。参加費1万円を募り、100万円を現地に寄付して復興にもつなげる」。ネットで呼びかけ、震災から3カ月後の6月11日、震災復興イベント「SHARE FUKUSHIMA」が実現した。「ライブをプロデュースするのは初めてだったし、実質的な準備期間はわずか2週間しかなかった。それでも何とか成功できたのはソーシャルメディアがあったから。厳しい条件でも、やりたいことが120%できた」

「メディアジャーナリスト」として

 津田さんの活動は時折、メディアジャーナリストの枠に収まりきらない。自身も「自分の肩書きに、ずっと悩み続けている」という。仕事を始めた当初は、雑誌にIT関係の記事を書く「ライター」。2003年に講演する機会があり、専門家として、「ITジャーナリスト」と名乗るようになった。やがて、音楽業界の記事も書いていたため、「IT・音楽ジャーナリスト」に。

 現在、使っている「メディアジャーナリスト」は、2009年から。その2年前からTwitterで審議会や興味あるイベントを速報する、いわゆる「tsudaる」ことを始めていた。「Twitterなら最速のインディーズ時事報道ができる。使っているツールはITだけど、ITの世界を評論するより、現実世界のことを伝えることの方が多くなっていった。結果、新聞やテレビ、シンポジウムでもメディア論、メディアビジネス論について語ることが増えたので、『もう俺IT・音楽ジャーナリストじゃねーなー』と思って、『Twitter社会論』を書く機会に、メディアジャーナリストを名乗り始めました。そのときは『よくわかんない肩書きだな』って自分でも思いましたけど(笑)」

 一方、2006年から著作権の政策について話し合う文化庁文化審議会に専門委員として参加。ネットに関係する政策に対し提言を行う組織「インターネットユーザー協会」(MIAU)も創設した。「でも、こうあるべきだと意見を言って、活動するのはジャーナリストとしてリスキー。本来は公正中立な立場であるべき存在というのが世間から求められるジャーナリストの役割ですから。自分はどういう立ち位置なのかと悩みを抱えながら生きてきたし、やりたいことと、周囲の環境とのギャップがその頃から顕著になっていきました」

 さらに、「一部のネットユーザーが持っている、固定化したジャーナリスト像」にも悩まされる。「事実をどう切り取るかという時点で、すでにフィルターがかけられているのに、ジャーナリストを名乗るには、客観的な事実だけ伝えなければいけないと思われている。いい加減、うんざりすることがあります。僕自身は肩書きにこだわりはあまりないので、名刺に『津田大介やってます』でもいいのですが、それだと世間的にわかりやすくないですし」と笑う。

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