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そろそろ「ガンダムUC」という“現象”に気がついたほうがいいのかも部屋とディスプレイとわたし(2/3 ページ)

» 2012年09月04日 15時00分 公開
[堀田純司,ITmedia]

UCのなにが特別なのか

 最初に「ガンダムUC」に対する世間の反応が実績にくらべて静かと書きましたが、もしかするとこの原因は、中年のごくふつうの男たちに、支持が広がっているためなのかもしれません。

 しかしただ「おじさん相手につくりました」というだけでは、商業的成功を収めることはできなかったと思います。なぜ「ガンダムUC」だけ特別なのでしょう。

 わたしは5月に渋谷オーチャードホールで開催されたepisode5の選考上映会に行ってみたのですが、会場に集まる人々を見て「こんなことって、もうないと思ってた」と感じました。で、家に帰ってからあらためて考えたのですが「で、その“こんなこと”っていったいどんなことなんだろう」と。

 たぶんそれは、これはなにか新しい特別なものだという期待感を製作者とファンが共有している状態なのだと思います。それは作品のクオリティや面白さとはまた別に存在する感覚。

 考えてみれば、初作「機動戦士ガンダム」も、必ずしも完全な作品ではありませんでしたが(ガンダムハンマーとかGブルとか)特別な作品でした。あの作品はアニメの可能性を押し開き、その活気をファンたちもしっかりと共有したものです。その盛り上がりが80年代の初頭にはありました。

 ですが、当時感じられていた特別ななにかは、日本のコンテンツビジネスの歴史が刻をつむぐ中で見失われてしまった。たぶん「ガンダムUC」のファンの人たちは、そのなにかを再びこの作品に見出し、現代の停滞を解く鍵を感じているのではないかと思います。

ガンダムの相続人たち

 「機動戦士ガンダム」の続編、関連作品は、テレビアニメーション、OVA、劇場版映画、それにコミックやゲームなど、実に多様に製作されてきました。それらに触れてあらためて感じるのは、初作「機動戦士ガンダム」のもっていた豊かな世界です。

 これまで製作されてきた関連作品には、エピソード間のミッシングリンクを補完するような物語であったり、登場人物のその後であったり、あるいは「ガンダム」の持っていたミリタリーな魅力をフィーチャーしたものであったり、ニュータイプという設定を取り上げたものもありました。

 初作の持っていたなにかを継承し、ふくらませた、魅力的ないわば限定相続人をあれほどたくさん生み出した。逆に言うとそれだけの豊かな世界を、1979年放映の「ガンダム」は持っていたと言えます。

 「ガンダム」関連作品の中には、でかい目をした中性的な美男子キャラクターが、なにかカッコイイこといいながら戦争をやっているという作品もあり、なにぶんハートが繊細な私のようなおっさんは「あんなのはガンダムじゃない!」と感じがちでしたが、考えてみたら、初作「ガンダム」にも、シャアとガルマの関係という形で、今でいうところの“腐女子”向けの設定がちゃんと盛り込まれていた。やっぱりBLっぽい作品も、むしろ典型的な「ガンダム」の相続人のひとりであると感じます。

 余談ですが、BLブームを体験している現代ならばなんとでもいえますが、1979年の段階で「女性需要」に気がつき、きちんと作品に盛り込んでいた富野由悠季(当時喜幸)監督のセンスは、どんなに賞賛しても褒めたりないと思います。

 真面目な話、「笑うなよ、兵が見ている」というガルマのセリフ。。その後のガルマ同席の部屋でシャアがシャワーを浴びて上半身裸で出てくる場面がもしなければ、「ガンダム」はただの男性向けマニア作品で終わっていた可能性があると本気で思います(もちろん、この点に早くから気がついて継承していたのが、庵野秀明さんでした)。当時の女性アニメファン、1975年放送の『勇者ライディーン』あたりから製作スタジオに遊びに来るようになっていた女性ファン(現在は貴腐人?)は、シャア派、ガルマ派にわかれて大いに萌えていたと言います。

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