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「この世は生きるに値するんだ」 「風立ちぬ」の後をどう生きるか 宮崎駿監督、引退会見全文(8/9 ページ)

» 2013年09月06日 23時41分 公開
[岡田有花,ITmedia]

僕が発信しているんじゃなくて、いろんなものを受け取っている

――「この世は生きるに値する」と子どもたちに伝えたかったとのおっしゃっていましたが、いまの世の中をどう定義していらっしゃるのでしょうか。

宮崎 僕は、自分の好きなイギリスの児童文学作家で、もう亡くなりましたけど、ロバート・ウェストールという男がいまして、その人が書いたいくつかの作品の中に、本当に自分の考えなければいけないことが充満しているというか、満ちているんです。この世はひどいものである。その中で、こういうせりふがあるんですね。「君はこの世に生きていくには気立てが良すぎる」。そういうふうに言うせりふがありまして、それは少しもほめことばではないんですよ。そんな形では生きていけないぞお前は、というふうにね、言っている言葉なんですけど。それは本当に胸打たれました。

 つまり、僕が発信しているんじゃなくて、僕はいっぱい、いろんなものを受け取っているんだと思います。多くの書物というほどでなくても、読み物とか、昔見た映画とか、そういうものから受け取っているので、僕が考案したものではない。繰り返し繰り返し、この世は生きるに値するんだってふうに言い伝え、「本当かな」と思いつつ死んでいったんじゃないかってふうにね、それを僕も受け継いでいるんだってふうに思っています。

――鈴木さんにお尋ねします。引退発表をベネチアで映画祭の会期中に行った理由を教えてください

鈴木 ベネチアでコンペの出品要請があったのはかなり直前のことだったんですよ。引退を社内で発表し、きょう公式発表するスケジュールは前から決めてきたんですけどね、そこに偶然ベネチアのスケジュールが入ってきたんですよ。僕と星野で相談しまして。ご承知のように宮さんには外国に友人が多いじゃないですか。ベネチアでそれを発表すれば、言葉を選ばなきゃいけないんですけど、一度に発表できるな、とそういうふうに考えたわけなんですよ。

 もともとこうも考えてたんです。まず引退のことを発表してその上で記者会見すると。この方が混乱も少ないだろうと。当初は東京でやるつもりでした。ただちょうどベネチアが重なったものですから、ジブリからも人が行かないといけない。そこで発表すれば、ジブリからもいろんな手続きを減らすことができる。ただそれだけのことでした

宮崎 ベネチア映画祭に参加すると正式に鈴木さんの口から聞いたのは今日が始めてです。なんか……え? と。もう星野さんが行ってるとか。ああそうなんだと、そういう感じでして。これはもうプロデューサーの言うとおりにするしかありませんでした。

映画にメッセージは込められない

――(富山県のローカル局)富山県出身の堀田善衛先生がお話の中に出てきました。風立ちぬの映画の中でも「力を尽くせ」「生きねば」といったメッセージが込められていますが、堀田善衛から引き継いだメッセージや、どんな思いを込められて作られたのか教えてください。

宮崎 自分のメッセージを込めようと思って映画って作れないんですよね。何か自分が「こっちでなきゃいけない」と思ってそっちに進んでいくのは何か意味があるんだろうけど、自分の意識でつかまえることができないんです。つかまえられるところに入っていくとたいていろくでもない所に行くんで、自分でよく分からないことに入っていかざろを得ないんです。

 それが、最後に風呂敷を閉じなきゃいけませんから、映画って。最後に未完で終わっていいんだったらこんなに楽なことはないんですけど。しかも、いくら長くても2時間が限度ですから、刻々と残りの秒数は減っていくんですよね。それが実態でして。

 せりふとして「生きねば」とかいうことがあったから、多分これは鈴木さんがナウシカの最後の言葉をどこかから引っ張り出してきて、ポスターに僕が書いた「風立ちぬ」の字より大きく「生きねば」って書いて、「これは鈴木さんが番張ってるな」と僕は思ったんですけど(笑)、そういうことになって、僕が生きねばと叫んでいるように思われていますけど、僕は叫んでおりません(笑)。

 でもそういうことも含めて宣伝をどういうふうにやるか、どういうふうに全国に展開していくかというのは、鈴木さんの仕事として死にものぐるいでやってますから、僕はそれをもう、全部任せるしかありません。

 そういうわけでいつのまにかベネチアに人が行ってるという、その前に「なんとか映画祭にパクさんと2人で出ませんか」「いや勘弁してください」とか言ってた。ベネチアについては何も聞かれなかったですけど、「そういえばそうですね」ってさっき(鈴木さんが)言ってましたけど、しらを切ってますけど。

自分の中にたまったもので映画はできている

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鈴木 ベネチアに関してコメントを出してますよ、宮さん。いま思い出しましたけど。リド島が大好きと。

宮崎 ぼくはリド島が好きです。そして、リド島と、カプローニの子孫、孫ですけど、その人がたまたま「紅の豚」を見て、自分のじいさんがやってたカプローニ社の社史、会社の歴史ですね、飛行機の図面というか、わかりやすく構造図に書いたものが、こんな大きな本で、日本に1冊しかないと思いますけど、突然イタリアから送ってきまして、「いるならやるぞ」と書いてあったんです。日本語で書いてあったわけじゃないんですけど。ありがたくいただきますというふうに返事を書きましたけど。

 僕は「写真でみた変な飛行機」としか思ってなかったものの中の構造をみることができたんです。ちょっと胸を打たれましたね。技術水準はドイツとかアメリカに比べるとはるかに原始的な、木を組み合わせるとかそういうものなんですけど、構築しようとしたものは、ローマ人がやろうとしたことをやっているこの人は、と思ったんです。

 カプローニという設計者はルネッサンスの人だと思うと非常によく理解できて。つまり、経済的基盤のないところで航空会社をやってくためには、相当はったりもほらも吹かないといけない。その結果作った飛行機が航空史の中に残ってたりするんだということが分かって、とても好きになったんです。そういうことも今度の映画の引き金になっていますから。

 たまりたまったものでできているものですから、自分の抱えているテーマで映画を作ろうとあんまり毎度思ったことはありません。ほとんど、僕のところに突然送られてきた1冊の本とか、そういうものが……ずいぶん前ですよね、だから。そういうときにまかれたものがいつの間にか材料になってくってことだったと思います。

――改めて、宮崎さんにとって堀田善衛という作家はどういう存在ですか?

宮崎 さっき「経済が上り坂になってどん詰まりになって落っこちて」とかそういう話を、よく分かっているように言っていますけど、しょっちゅう分からなくなったんです。それで、「紅の豚」をやる前なんかも、本当に、世界情勢をどういうふうに読むか分からなくなっているときに、堀田さんってそういう時にさっと、短いエッセイだけど、何か書いたものが届くんですよ。

 自分がどっかに向かって進んでいるつもりなんだけど、どこに行ってるんだかよく分かんなくなるようなことがあるときにね、見ると、本当にぶれずに、堀田善衛さんという人は、現代の歴史の中に立っていました。見事なものでした。それで自分の位置が分かることが何度もあったんです。

 本当に、堀田さんがひょいと書いた、「国家はやがてなくなるから」とかね、そういうことがその時の自分にとってはどれほどの助けになったかと思うと、やっぱり大恩人の1人だというふうに、僕は今でも思っています。

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