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76歳の編集者挑む“科学古典のデジタル文書化”――現役時代に夢見た「科学知識を万人へ」(2/2 ページ)

» 2017年08月11日 07時00分 公開
[井上輝一ITmedia]
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「青空文庫」や「国会図書館デジタルコレクション」にはないもの

 著作権の切れた本のデジタル化・無償公開といえば「青空文庫」を思い浮かべる人もいるだろう。だが「数式の正確な表記がほぼ不可能であるため、青空文庫へは科学関係の本を収録しにくい」とM.U.さんはいう。

 科学図書館では正確な表記のため、数式や科学表記に適した「TeX」を用いてPDFを作成している。始めた頃から十分に習熟していたわけではなく、常にマニュアルとの戦いだったと振り返る。

 TeXを使うことで、M.U.さんが抱いている「国会図書館デジタルコレクション」の欠点も解決できる。国会図書館デジタルコレクション(旧「近代デジタルライブラリー」)は国会図書館が運営する“電子図書館”サイトで、明治以降に刊行された図書・雑誌のデジタル化資料を公開している。

 さまざまな歴史的資料をネット上で閲覧できるが「デジタル化といっても資料の各ページをデジタルの写真にしたものなので、解像度によっては活字が読みにくいものもある」とM.U.さんは指摘する。

 解像度の問題もあるため、科学図書館では写真をそのままアップするのではなく、TeXによる組版を採用しているという。TeXから作成したPDFでは、文章の選択やコピーもできるため利便性も上がる。

 青空文庫にはない科学表記の正確性と、国会図書館デジタルコレクションの欠点だった写真の解像度問題。これらを解決するのが、TeXによる組版のPDF化というのだ。

 ただ、その分だけ1冊当たりの手間もかかる。これまで500冊以上をPDF化してきたM.U.さんだが、「協力してくださる方がいると大変うれしいです」と心中を明かす。

 「一連の作業をしていただける協力者はほとんどおられないでしょうが、スキャナーで読み取ったテキストファイルの提供や、デジタル化するべき本や論文の提案をいただけると大変助かります」

 Webサイトのデザインがシンプルな理由は、「デザインに凝ることに時間を取られるよりも、1つでも多くの忘れられた文献をPDF化して世に出したいと思っているから」。デジタル化が第一だと熱意を見せる。

若い人たちにこそ読んでほしい

 科学の話題を追いかけると、つい最先端のことばかりに目がいってしまう――そんな人は少なくないかもしれない。しかしM.U.さんは「最先端の科学は、先人の業績があってこそ。新しいことを始めるには、まず過去の文献を振り返ることが必要だと思っております」と、科学の「温故知新」の必要性を語る。

 「科学図書館にアップしたものを若い人たちに読んでもらえるかどうかは分かりませんが、何もしないよりはこうした形で残しておけば、誰かが役立ててくれるのではないかと、微力ながら毎日作業しています」

編集者としての在り方

 最後に、M.U.さんの名前の表記について記しておく。筆者が「Webサイトではお名前を出されていないようだが、紹介しないほうがいいのだろうか」と尋ねると、M.U.さんは「あらためて麗々しく名前を名乗る程のことでもないと思っております」と答えた。

 「書籍の場合でも、一般に編集者の名前を奥付に書くことはあまり有りませんし、私のこの『科学図書館』は先人の業績のアンソロジーでしかありませんから、ことさら編集者の名前を出す必要はないと考えています。名前を出す必要があるのなら、M.U.とでも表記されれば」

 筆者は、氏の仕事が「もっと世間に知られるべき」と思い記事を書いているので、先人の業績のアンソロジーであってもそれは素晴らしい業績なのではないかと考えている。

 一方で「編集者が名前を出す必要はない」と考えるM.U.さんの“編集者としての在り方”も共感できる。現役時代から今の今まで貫く姿勢に感銘を受け、ここでは名前を伏せることにした。

 記事執筆中、筆者はM.U.さんのことを「元編集者」と安易に書いていた。違う。科学図書館のため、科学古典のデジタル化作業を続ける彼は、今も紛う事なき「編集者」だ。

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