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「GAFAの脅威」はあり得るのか(2/2 ページ)

» 2018年06月29日 14時49分 公開
[小寺信良ITmedia]
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GAFAとの距離感

 あまりにもGAFAとの距離感が近いと、彼らに情報が独占されていることが気づけないのではないか、という指摘もある。アメリカ的に見ればそうかもしれない。だが日本のユーザーは上記のように、非GAFAで生きている人も相当数いるので、GAFAの脅威と言われても全然ピンと来ない人もまた、相当数いることだろう。

 少なくともGoogleに関しては、彼らを倒してやろうとか、出し抜いて上手いことやろうとする時代は終わったんじゃないかと思う。AndroidユーザーであればGoogleのアカウントは必須だし、有償アプリダウンロードのためにクレジットカード情報は握られている。膨大な数の情報が集まっているのは間違いない。

 一方でGoogleの決済システム「Google Pay」を日常的に利用している人は少ないだろう。Apple Payも似たようなものだ。電子決済系では、額ではWAON、nanacoの2強、利用頻度においてJR等交通系が押さえており、「GAFAがすべてを〜」という論調には違和感しかない。

 そもそもGoogleの問題は、個人情報を握られることではない。むしろサーチエンジンにほとんど競合がないというところを問題視すべきだ。Yahoo!で検索する人も、エンジンはGoogleであり、SEOの効果もほぼ同じ、パーソナライズド検索の結果もほぼ同じだ。一部Yahoo!には独自フィルタリングの部分があったり、自社サービスへ飛ばす部分があるぐらいの違いである。

 これの何がマズいかというと、検索結果がパーソナライズされることで、自分の好む情報にしかアクセスしていない「フィルターバブル化」が起こっていることに気づけないところだ。人は無意識のうちに、検索上位に来ている情報が、広く公平な選択肢からの結果だと思ってしまう。これを続けていると、自分が思っていたような結果が得られたことで、自分の考えが正しかったことが立証されたような気になるわけだ。

photo 検索結果がパーソナライズされるとフィルターバブル化に気づけない

 こうして自分の主張とは違った意見を目にする機会が少なくなり、社会が多様性に満ちたものという感性が薄れてくる。自分に心地よい情報を持った者とどんどん繋がっていき、自分達の主張とは違うものはマイノリティであるか、間違っていると錯覚することで、他者に対して攻撃的になっていく。こうした行動を「集団極性化」と呼ぶ。

 確かに、自分が必要とする情報がすぐに見つかった方が便利ではあるのだが、パーソナライズされた検索エンジン一つに頼り切りの現状には、警鐘を鳴らす必要があるだろう。

 コミュニティサービスについては、GAFAのうち成功しているのはFacebookだけである。ただしFacebookの利用者はオジサンオバサンだけで、若い子は見向きもしない。メールに代わる基幹システムはLINEとなり、刺激的なSNSサービスは中国・台湾からやってくる。

 動画配信や音楽配信も、二極化が進んでいる。海外サービスが中心で、洋楽・洋画中心に楽しむ人たちと、「dナントカ」「ナントカpass」など、いわゆるキャリアが提供している配信サービスにどっぷりで生きている人たちだ。個人的にはGAFAを云々する前に、この「キャリアに人生の大半を預けている」ユーザーこそ心配した方がいいのではないかと思っている。

GAFAは日本にとって脅威となり得るか  

 日本における情報・流通サービスとしてGAFAを観察すると、彼らは日本でビジネスする上で相当に日本向けにローカライズしている。元々米国企業であることを考えれば、OSあるいはサイトの作りに日本語の怪しいところもないし、感性として受け入れられない部分も少ない。だからこそ、利用者も違和感なく使うことができる。

 そうしたローカライズの努力を考えれば、まさにグローバル企業のお手本のようなことを彼らはやっているのであり、日本企業が行なっている努力とそう変わるものではない。加えて日本企業はもっとグローバル化して成長せよと社会がいうのだから、むしろGAFA化を目指せと言っているのと変わりない。そんな中で、GAFAへの集中が問題、という話は、筋が通らない。

 つまり米国で言われているGAFA問題と、日本で語られるべきGAFA問題は本質的に別のものだ。日本におけるGAFAへの憂慮は、日本企業ではないという一点に尽きる。

 究極的にはこの4社が問題というより、競争がないことの方が問題が大きい。現在この4社は、サービス上で競合する部分がそれなりに大きいため、均衡を保っているという見方もできる。むしろ注目すべきは、彼らが1社独占している部分に注目すべきだ。つまり、GAFAとして一体で評価に意味はなく、それぞれを個別に見ていくべきなのだ。

 その構図で行けば、日本においてはGoogleはサーチエンジン、Amazonは書籍流通の部分を問題視すべきかと思う。一方Facebookは、コミュニティではLINEと競合し、VRではGoogleと競合する。AppleはモバイルプラットフォームでGoogleと競合する。AmazonはクラウドにおいてMicrosoftと競合し、AIでGoogleと競合する。

 こうした競合状態をキープさせることが、消費者にできる対策だ。つまり、両方を天秤にかけ、選んで、ダメだと思えばどんどん乗り換えていく。それが望ましいのだが、現実に日本のネットサービス利用者は、キャリアに縛られすぎている。政府の方針としては、携帯3キャリアの消費者囲い込みを牽制して競争原理を働かせようとする動きがあるが、それは主に料金体系の話であり、キャリアサービスに囲い込まれたユーザーの目を外に向けるという点では、あまり機能していない。

 「GAFAの脅威」とあおっているオジサン世代は、そもそもキャリアサービスしか使ってないのではないか。さらには日本企業が保有する個人データをビッグデータとして利用する事に抵抗するとあっては、言ってることとやってることがねじれている。

 日本において「GAFAの脅威」を焚きつけることは、国益には大してプラスにはならない。それよりも大人のネット民度を上げることの方が、よほど未来を感じさせる方策だろう。

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