内原恭彦氏の現場デジタル写真時代の表現者 #006(1/2 ページ)

» 2004年03月25日 20時36分 公開
[島津篤志(電塾会友),ITmedia]

 エプソンカラーイメージングコンテスト2002でグランプリを獲得。そして2003年の写真新世紀展(キヤノン主催)でもグランプリ受賞に輝いたアーティスト、内原恭彦氏。独学で写真を習得して4年半。内原氏の撮影スタイルは、日に数百枚の写真を毎日取り続けることだという。

 デジタルだからこそ実現できたという大量撮影の継続は、まさしくデジタル写真時代の技術習得の王道といえるだろう。しかし写真は、撮影技術さえ身に付ければいいものでないことは言うまでもない。

写真以外のことはやりたくなくなった

 これまでに複数のCGや写真のコンテストでグランプリを受賞してきた内原恭彦氏は、芸術の天分に恵まれたデジタルクリエーターとして各方面で認知されている。この内原氏を取材すべく、横浜市内の自宅へ押し掛けてみた。

内原氏、自宅にて。3DCGをやっていた内原氏の机にはWindowsノートがあった。「でも3DCGはやめたから、またMacに戻ろうかなと思っているんです」

 「ちょっと散らかっててすみません。3カ月ほど、写真を撮りにタイへ行ってたもんですから……」

 そう私に語りかける内原氏の部屋はほんとに散らかっていた。飾らない人柄なのだろう。氏の愛機・ニコンD100が無造作に、混沌とした作業机の上に置かれていた。付いているレンズはSIGMA COMPACT HYPERZOOM 28-200mm F3.5-5.6だった。

 「いいレンズ、いろいろ欲しいんですけどね。でも高いですよね、いいレンズって。いまはとりあえずコレ1本で、とにかく数だけは撮ってます」

「起動の速さが気に入っている」という愛機D100。これまでの膨大な作品群は、この1本の付けっぱなしズーム(28-200mm)ですべて生み出されている。しかし、なぜ一脚だけ、オレンジのイームスチェアが……?

 内原氏はもともと、ブックカバーのデザインといったCG制作を生業とするクリエーターだった。デジタルカメラとの出会いは1999年。CGのテクスチャー作りのためにコンパクトな機種を購入したのが始まり。ファーストデジカメは単焦点のCyberShotだった。

 「すぐに、手放すことができない存在となりましたね。それ以前はフィルムカメラで撮ったものをスキャンして、といったこともやりましたが、デジカメの手軽さは驚異的(笑)。そして撮った結果がその場でわかる楽しさ。写真の世界にのめり込みました」

 2002年にエプソンカラーイメージングコンテストでグランプリ。続く2003年の写真新世紀展(キヤノン主催)でもグランプリを獲得した内原氏は、CG制作の仕事に決別。写真一本で生きていこうと人生設計を塗り替えた。

 「やっぱり賞を獲ってから、写真に対して“本気”になりました。写真以外のことはやりたくなくなってしまったというか。CyberShotを買った日から、きっと徐々にモチベーションは高まっていたと思うんです」

写真は「とにかく量を撮れ!」

 写真はまったくの独学。好きな写真家のひとり、森山大道氏の「とにかく量を撮れ!」ということばを実践しているだけ、と語る内原氏。現在は日に約200枚を撮影しているが、500枚撮影していた時期もあったという。

 「まちを切り取ったスナップがほとんど。移動手段には電車やバスも使いますが、自転車や徒歩でということも多いです。バスは視点が高く取れるので、歩行者よりも引いた写真が撮れて楽しい」

撮影テンポの速い内原氏のスナップのようす。立ち止まる→構える→シャッターを切る→歩き出す。この一連の動作はほとんど瞬時に流れるように行われる。「呼び止められる前に立ち去るのが秘訣です(笑)」

 内原氏のサイトは、日々更新される大量の写真ギャラリーがメインコンテンツであり、約200枚の作品を毎日入れ替えている(2004年2月現在。インタビュー後、サイトはリニューアルされ、数年続いていたこの形態は変わった)。

 「僕は、デジタル写真とWebは切り離せない関係にあると思っています。撮った写真をすぐに自分のサイトにUPして、他者の目に触れさせることができる。個人が作品を発表する場としてWebは非常に優れています」

アスファルトの上に突如現れた「色の不協和音」を、天の邪鬼的に選んでとらえたものか。どん欲に街を切り取る、内原イズムなスナップ
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