PC-Successやワンネスだけでなく、ここ数年で閉店したり経営方針を転換したアキバのPCパーツショップは多い。
某ショップは「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba(再開発地区に立地)がオープンしてから、家族連れの人が増えました。ただ、自作PCに興味を示す人の数はそれほど増えていません。だから、経営は正直苦しい状況が続いていますね」と語る。
2006年以降、閉店・移転したPCパーツショップの跡地には、メイド喫茶や中古DVDショップの入店が目立っており、新しいPCパーツショップの参入を見かけることは少なくなった。2006年6月に閉店した俺コンハウスの跡地は、まんだらけのビルが建つ。コムサテライト 3号店(2004年閉店)→ワンネスと、PCパーツショップが連続で入店していた中澤ビルでは、現在、中古ソフトの買い取り・販売店「買取りまっくす秋葉原店」が営業している。
アキバの老舗であるPCパーツショップ・CUSTOMは、こうした街の変遷を「時代の流れ」と割り切っている。
「NECがPC/AT互換機に参入したころから、すでに自作ブームが終了するストーリーはできていたと思います、緩やかな死が始まっていた。PC-98シリーズが全盛の頃は、メーカー製パソコンが非常に高価だったため、自分で安いPC/AT互換機パーツを組むと、かなり安くできました。100万円クラスのPC-98に近い性能のマシンを30万円で作るとか。それから“自作は安くてお得”という印象がついて、一般層がPCパーツを買うようになった。でも現在は、コスト面において自作のメリットは無に等しい。完全に趣味の世界です。趣味として自作を楽しむ人だけが残っていくので、ショップの規模が縮小するのは自然の流れなのでしょう」。
アキバの再開発は、その流れをほんの少し後押ししただけなのかもしれない。
関連記事:「“アキバらしさ”とは何か(PCパーツショップが考える秋葉原ブーム)」
関連記事:「“アキバブランド”という考え方とその価値(PCパーツショップが考える秋葉原ブーム)」
関連記事:「まずは2008年まで設計図が描かれるアキバという街」
関連記事:「電気街は戦後60年を経て“お墨付き”を得た」
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.