第1回 次世代Web標準「HTML5」は今、どこまで使えるレベルにあるのか?なぜ今、HTML5なのか――モバイルビジネスに与えるインパクトを読み解く(2/2 ページ)

» 2012年08月08日 18時33分 公開
[小林雅一(KDDI総研),ITmedia]
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あらゆる分野で期待される理由

 2011年あたりから、こうしたクロスプラットフォーム戦略を採用する企業が次々と現れている。例えば主要メディアでは英Financial Times、米Boston Globe、英BBC、日本経済新聞など。さらにインターネット動画サービスの米Netflix、インターネットラジオの米Pandora、クラウド型顧客管理システムの米Salesforce.com、クラウド型プレゼンテーションの米SlideShare、ソーシャルメディアの米Facebookや米LinkdedInなどが、HTML5ベースのWebアプリをリリース、ないしはその計画を発表している。

 詳細は後述するが、Webアプリには性能や機能面で、まだネイティブアプリに及ばないところが残されている。それなのになぜ、前述のように世界的な企業が次々と、HTML5を使ったWebアプリを提供するのか?そこには大きく2つの理由がある。

 1つ目は、いわゆるマルチ・デバイス時代の到来である。ここ数年でスマートフォンやタブレット、電子書籍リーダーなど、様々なデバイス(端末)が普及し始めた。ここにいずれはテレビや自動車など、私たちの身の回りにある色々な製品がインターネット端末化して加わる。これらのマルチ・デバイスが個々に音楽、動画、書籍、ゲームなどのコンテンツを保存すると、ユーザーにしてみれば、それらにいちいちデータを同期させるのは非常に面倒だ。むしろ、これらのコンテンツをWebアプリ化して、クラウドサーバー上におけば、どこからでも、どんな端末からでも利用できる(図3)。

Photo 図3:マルチデバイス時代のメディア/コンテンツ・サービス

 2つ目の理由は、コンテンツ配信の主導権争いである。例えばゲーム・メーカーや出版社のようなコンテンツプロバイダーが、自社製コンテンツをスマートフォンやタブレット向けに提供するとしよう。これまでは、AppleのApp StoreやGoogleのGoogle Play(旧称Android Market)などにコンテンツを登録して、ここから発売(ないしは無償で提供)することが多かった。しかし、この場合、コンテンツプロバイダーはAppleやGoogleが定めたルールに従う必要がある。特にApp Store(Apple)のルールは厳しく、ときには恣意的とも映り、コンテンツプロバイダーの間で評判が悪かった。例えば大手の新聞社や出版社などは、コンテンツの単品売上ばかりか、毎月の購読料の30%までもApp Store(Apple)が徴収し始めたことで、堪忍袋の緒が切れた。彼らはApp StoreやGoogle Playのような特定企業が管理する配信プラットフォームをバイパス(回避)する手段を模索した。そこに浮上したのがHTML5なのである。

 HTML5で作られたコンテンツ(Webアプリ)は、形式的には従来のホームページと同じものだから、デバイスにブラウザさえ搭載されていれば、それがiPhoneであろうとアンドロイド携帯であろうと同じように動く。従って、コンテンツプロバイダー側ではApp StoreやGoogle Playなどをバイパスできるのだ。ただし、これらのマーケットを使わない以上、自力でコンテンツを配信できるネームバリュー(知名度)や、ある程度のユーザーベースが必須となる。前述の世界的企業はいずれもそれを持っていたので、HTML5製のWebアプリへと舵を切ったのだ。特にフィナンシャル・タイムズは徹底しており、大多数の読者がWebアプリに移行したのを確認すると、App Storeから同社のネイティブアプリを引き揚げてしまった。つまり完全にHTML5(Webアプリ)に切り替えたのである。

 また無名の中小コンテンツプロバイダーに対しては、例えばFacebookのような巨大ソーシャルメディアが一種のコンテンツ配信サービスを提供することにより、ここを経由してWebアプリをユーザーに届ける道が最近、切り開かれている。もちろんFacebookもいずれは、今のAppleやGoogle、Amazonなどが見せている、いわゆる「プラットフォーマーの横暴」に陥る危険性はあるが、ここに今後、世界各国の通信キャリアなどもHTML5ベースの配信システムを提供するようになれば、そうした事態は緩和されると見られている。なぜなら配信システムが多ければ多いほど、そこには健全な競争原理が働くようになるからだ。

 HTML5の普及は今後、さらに加速すると見られる。その主な理由は、米Adobe Systems(以下、Adobe)が自社の代表的なマルチメディア開発プラットフォームであるFlash技術のサポートを(モバイル端末向けに限って)停止し、これに代わってHTML5を支持すると表明したことだ。この背景には、AppleのFlash排斥運動がある。元々、FlashはPC向けの開発プラットフォームとしては、デファクトスタンダード(事実上の業界標準)の地位を確立していた。そしてHTML5はIT業界内で「Flashを模倣している」と陰口を囁かれるほど、Flashをお手本にして発達してきた経緯がある。

しかしFlashはあくまでもAdobeという一企業が所有する技術であり、これがモバイル産業でもデファクトスタンダードになることをAppleは恐れた。そこで同社のフラグシップ商品とも言えるiPhoneやiPadからFlash技術を排除し、これに代わって「(Flashと同じことができる)HTML5でWebアプリを作ろう」とソフト開発業者に呼びかけた。これが功を奏して、スマートフォンやタブレットなどモバイル端末において、Flash技術の旗色は急速に悪化した。やむなくAdobeは2011年秋にモバイル端末ではFlashを諦め、これに代わって今後はHTML5関連の技術開発に注力すると決めたのである。

解決すべき問題、課題も山積

 以上のように、メディアやコンテンツも含めIT産業の大勢はHTML5へと傾いている。しかし一方で、HTML5には数多くの技術的問題、課題が残されており、これが一挙にHTML5へと向かう流れをせき止めている感がある。実は前述のHTML5を採用した数多くの主要企業も、HTML5に完全にコミットしたFinancial Timesを除けば、それ以外の多くはまだ、ネイティブアプリと(HTML5で制作した)Webアプリのどちらがいいか、決めかねているのが実情である。

 この傾向は欧米のみならず、日本企業にも強く見られる。例えばHTML5の導入にかなり積極的な日本経済新聞社でさえ、Webアプリ版によるニュース配信は実はまだベータ(試作)段階という位置付けにある。それ以外の企業ともなると、「HTML5は時期尚早」あるいは「HTML5なんて使い物にならない」など、極めて懐疑的な姿勢を見せるケースが珍しくない。

 その背景にあるHTML5の問題とは何か? 最大の問題は、Webアプリは、ネイティブアプリよりも動きが遅いということだ。Webアプリはインターネットを介して、サーバー/クライアント間のデータ通信が常につきまとう。さらにOSの上に一枚被さったブラウザ上で稼働するため、ダイレクトにOSの上で稼働するネイティブアプリに比べて動きが遅くなるのはやむを得ない。これは特にスピードと操作性が重視されるゲームソフトにHTML5を応用する際、致命的な問題になるとの指摘もある。

 2つ目の問題はブラウザにまつわる機能面の不備である。Webアプリはブラウザの機能に大きく依存している。そしてAppleの「Safari」やGoogleのAndroid付属ブラウザなどの主要ブラウザは、スマートフォンに内蔵されたカメラやセンサーなど主要部品を操作できない。この結果、例えばスマートフォンからFacebookのWebアプリ版を起動して、そこから端末内蔵カメラで写真を撮影してFacebookにアップするといった行為が、(少なくとも現時点では)できない。

 3つ目の問題は、各種ブラウザの仕様の(微妙な)分裂である。少し前に筆者は「HTML5対応のブラウザは、W3Cという世界的な標準化団体によって仕様が統一されている。このためWebアプリは、異なるブラウザの上でも同じ動き方をする」と述べた。しかし、これはHTML5に関する理想であって、実際にはHTML5対応のブラウザは、製品によって仕様が微妙に異なる。この結果、同じWebアプリでも、例えばSafariとFirefoxのように異なるブラウザの上では、異なる動きを示す場合がある。最悪の場合、Safariの上ではちゃんと動くのに、Firefoxの上ではおかしな動きをする、というような事態も起り得るのだ。

 4つ目の問題は、HTML5の標準化が完了する、つまりHTML5の仕様が固まる時期が、正確に読めないということである。HTML5の標準化を進めているW3Cは、「2014年には、HTML5は最終勧告にこぎ着ける(=事実上、標準化が完了する)」としているが、これは希望的観測に過ぎず、実際はもっと先になるとの見方もある。さらに事態を複雑にしているのが、HTML5標準化に関与する団体が事実上2つ存在することだ。もちろん公式の標準化団体はW3Cだが、これ以外にWHATWG(Web Hypertext Application Technology Working Group)という別団体もHTML5の標準化に関与している。両者は事実上、共同作業でHTML5の標準化を進めている。

 両者の関係は非常に複雑である。ここではその詳細を紹介する紙幅はないが、要点だけ言ってしまうと、W3CとWHATWGは実はあまり仲が良くない。W3Cに参加している企業の多くは、WHATWGにも参加しているため、HTML5に対する両者の見解の相違は、IT業界全体に混乱を巻き起こすことがある。特にWHATWGで主導的な役割を果たしている、GoogleのIan Hickson氏はちょっと変わった人物で、しょっちゅう業界に波風を立てている。

 同氏はつい最近も、「WHATWGが標準化を進めるHTML5は『Living Standard(永久に進化し続けるバージョン)』であるのに対し、W3CのHTML5は『Snapshot(暫定版)』である」との見解を示して、物議を醸した。こういう発言のどこが問題かというと、それはソフト開発業者の間にHTML5に関する混乱や疑念を引き起こしてしまうことだ。つまり、いつHTML5の仕様が確定するかも分からず、おまけに仕様が分裂してしまう危険性があるなら、ソフト開発業者はおいそれとHTML5に手を出すわけにはいかない。

連載第2回に続く)

小林雅一氏プロフィール

 KDDIリサーチフェロー。東京大学大学院理学系研究科を修了後、雑誌記者などを経てボストン大学に留学しマスコミ論を専攻(東大、ボストン大とも最終学歴は修士号取得)。ニューヨークで新聞社勤務後、慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所などで教鞭をとったあと現職。著書は「神々の『Web3.0』」(光文社ペーパーバックス)、「モバイル・コンピューティング」(PHP研究所)、「Web進化 最終形『HTML5』が世界を変える」(朝日新書)、「日本企業復活へのHTML5戦略」(光文社)など。



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