リニアモーターカーに続く超電導の活用、鉄道総研の描く夢小寺信良のEnergy Future(2/6 ページ)

» 2015年11月20日 09時00分 公開
[小寺信良スマートジャパン]

鉄道総合技術研究所とは何か

 鉄道総合技術研究所(以下、鉄道総研)が浜松町から現在の国分寺市光町に移転したのは、1959年(昭和34年)のことである。当時の国鉄が東海道新幹線を開業する際、さらに本格的な研究・試験施設が必要ということで移転したという。建物も当時の面影を色濃く残しており、一見するとどこかの官公庁のような、趣のある建屋である(図2)。

鉄道総研の外観写真 図2 鉄道総研の外観写真 出典:鉄道総研

 新幹線の開通は、1964年(昭和39年)。当時鉄道総研の周辺は「平兵衛新田」と呼ばれていたが、この地で新幹線に関する研究・開発が進めれられたことにちなみ、光(ひかり)町と改名されたそうである。

 当時は敷地の周囲を楕円形の鉄道線路が取り囲んでおり、中央線とも引き込み線でつながっていたが、2004年に中央線の高架化工事にあたり、完全に切り離された。ループ線と呼ばれる所内試験線は、現在も実際の車両試験が行える程度には残されている(図3)。

photo 図3 1988年(昭和63年)当時の鉄道総研。敷地外周にループ線の一部が見える 出典:鉄道総研

 そもそもは国鉄の技術研究所であったわけだが、国鉄そのものは1987年(昭和62年)に、JRとして分割民営化されることになる。だがこの時、研究機関が分散してしまうと技術が薄れてしまうということで、独立した研究所として鉄道総研は残されることになった。現在もJRと密接な関係ではあるものの、公益財団法人という性格から、その研究成果は一般に広く公開されている。もちろんJR以外の公民鉄にも、ここの技術が提供されている。

 鉄道技術を研究する鉄道総研が、高度な超電導技術を保有しているのはなぜか。今回は同研究所の超電導技術の強みと展開について、同研究所専務理事で工学博士である高井秀之氏に話を聞いた。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.