1社がシェア独占、15年経過したイタリア電力自由化の現在電力自由化、先進国はこう動いた(5)(1/3 ページ)

世界には多くの電力自由化先行国が存在する。日本に先行した国々ではどういう変化が起こったのか。こうした変化を紹介するとともに日本のエネルギー産業における将来像を探る。第5回は、イタリアの電力自由化後の動向を紹介する。

» 2017年01月16日 07時00分 公開
[グザビエ・ピノン/セレクトラスマートジャパン]

 フランスのエネルギー市場と同様に、イタリアの場合も国営の企業2社が独占的にイタリア市場に電気・ガスを供給してきた背景がある。イタリアではEnel社が電力市場を、Eni社がガス市場にエネルギー供給の役割を担っていた。

 イタリアに存在をしていたのは2社のみであったことから、フランスでも電力会社名のEDF(ウー・ディー・エフ)が「電気」と同義として国民に親しまれてきたのと同様に、イタリアでもそれぞれ、電気の同意語はEnel、ガスの同意語はEniとなっているほど両社のサービスは深く国民に浸透していた。

 また、今までの記事でも何度も登場しているように、イタリアの場合も1996年のEU指令によって自由化への準備が進められ、1999年のベルサーニ法の施行により、実際にイタリアでエネルギーの自由化が具体化された。イタリアではエネルギーの自由化が実際に行われてから既に15年経っている。しかしながら、周辺諸国と同様、依然として課題や問題は残っている。

ビッグ2の異なるアプローチ

 Enel社は電気の国有企業として1962年に創立され、イタリア市場に独占的に電気を供給してきた(ただし、ミラノとローマに関しては、地元の電力企業が電力を供給していた)。他国の電力会社と同様に、発電、送電、配電、小売りのすべてを担っていた。1992年に株式会社化され、1999年のベルサーニ法を受け、当時株式の31.7%を一般に売却した上で民営化され、現在に至っている。

 イタリアの電力自由化のファーストステップとして、電発電事業を(2002年)、続いて送電部門(2005年)が切り離された。これにより潤沢なキャッシュを得たEnel社はその後ビジネスを通信ビジネスなどへと多角化させていった。しかしながらこの多角化戦略は失敗に終わり、本業である電力部門の強化に向け、スペインの電力会社であるEndesa社を買収した。

 さらに、Enel社は、子会社であるEnel Green Powerを通じて再生可能エネルギーに大規模な投資を行った。現在、Enel Green Power社は世界でも有数の再生可能エネルギー発電テクノロジー企業になっている。

 しかしこうした非常に積極的なEnel社の姿勢は、国内で批判も受けている。というのも、EU指令によれば、別会社とはっきり認識されるように、電気の小売り業と配電・送電業に関しては、同じブランド名(会社名)を使用していけないと決められている。しかし同社は電気の小売りにも送電・配電に同じブランド名を使用している。発電は、Enel Produzione、配電は、Enel Servizio Elettrico、小売りは、Enel Energiaといったように、どのサービスであってもEnelというブランド名が冠せられている。

 このような背景もあり、2016年現在、イタリアではEnel以外の電気小売り会社が登場したにも関わらず、相変わらず、電気といえばEnel社という状況がまだまだ続いているのだ。

 一方、ガスの独占企業であるEni社も1992年に株式会社化され、2001年までガスの輸入と送ガスとガスの小売りを独占的に行ってきた(ガスの小売り市場は2001年に自由化される)。ただし、ガスのEni社と電気のEnel社にはその戦略に大きく異なる点がある。Eni社は小売り事業よりもむしろ、ガス資源の探査・調査およびガス製造により力を入れたことである。その結果として、小売り市場に関していえば、Eni社により独占されていた同市場は自由化が進んだ。電気のEnel社が電力小売り市場に持つほどの影響力は既になくなっている。

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