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» 2017年10月24日 06時00分 公開

建築(家)のシンギュラリティ(1):製図からBIMへ──設計ワークフローを支えるメディア技術史 (1/3)

建築学と情報工学の融合が進む昨今、これからの「建築家」という職能はどう変化していくのか――キーパーソンへのインタビューを通して、建築家の技術的条件を探る本連載。第1回は慶應義塾大学SFC教授の池田靖史氏とともに、古来の製図から現代のBIMに至るまで、建築製図技術の系譜について考えます。

[中村健太郎 NPO法人モクチン企画/編集協力:太田知也 NPO法人bootopia,BUILT]

 CADが生まれてから、既に半世紀以上の時間が経った現在。当初は一部の理論的取り組みにすぎなかった建築学と情報工学の融合が、ここ数年で急速に進んでいる状況があります。「情報としての建築」のリアリティは日に日に高まっている――そうした言い方もできるでしょう。

 こうした「建築」を構成する技術の革新が語られる度、感じていた違和感があります。「建築家」という職能もまた、さまざまな技術によって支えられた存在だったのではないでしょうか。つまり「建築の技術的条件」だけでなく、「建築家の技術的条件」についても、等しく思考を巡らせるべきなのではないでしょうか。

 本連載では、建築と情報の交点に立つ方々に建築技術についてのインタビューを行い、建築家の技術的条件を問い直していくことを目指します。具体的には、CAD・BIMやロボットといった(狭義の)技術に加えて、建築教育やビジネスモデルといった建築家の社会的な側面も、ここでは(広義の)技術として取り扱いたいと思います。

 いまだ焦点を結ばない情報技術時代の建築家像が、連載の後では輪郭を伴って私たちの前に現われることを期待しつつ、この連載を開始します。

 第1回は、コンピュテーショナル・デザインの可能性にいち早く着目し、その展開を見つめてきた慶應義塾大学SFC教授の池田靖史氏とともに、古来の製図から現代のBIM(Building Information Modeling)に至るまで、建築製図技術の系譜について考えます。


1.製図の技術史

中村(以下、N) 連載の第1回のテーマは”製図”です。そこで今回は、製図にまつわるユニークな建築文明論をお持ちの池田靖史先生にお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

池田(以下、I) よろしくお願いします。

N まずは簡単に、製図の技術史を整理するところから始めたいと思います。製図という方法それ自体は、15世紀、つまりルネサンスのころにアルベルティ1が『建築論』の中で示したのが始まりと言われ、良く知られています。ところが製図自体の主だった技術革新というのは、19世紀に青写真が発明されるまで、実に4世紀ものあいだ停滞していました。その後、20世紀初頭にようやく製図板が発明され、幾何学による作図というコンセプトが、具体的な装置に結実します。

 ところが、そうした緩やかな変化のスピードは、第二次世界大戦を経てコンピュータが実用化されたことで大きく変わります。1960年代に入ってGUI(Graphical User Interface)が実用化された後、製図版はコンピュータの中に持ち込まれました。いわゆるCADの始まりです。90年代になると、図面ではなく成果物の3Dモデル自体を直接コンピュータ上で製作するようになり、図面を介して建築を表現するのではなく、模型があり、その切断面が図面なんだと考えることができるようになります。

 さらに2000年代に入るとBIMが出てきて、建物のデジタルデータは単なる作図の副産物ではなく、ある種のデータベースとしてより大きな役割を担い始めました。今日の図面は、単なる意思疎通のツールを超えて、現場管理やライフサイクル・マネジメントといった、より広範な情報の制御を担いつつあると言えるかもしれません。

 この2D=図面と3D=形態のあいだをとりもつメディアの変遷から、私たちは何を読み取ることができるのでしょうか。

製図の技術史/CC BY-SA 作成:中村健太郎

1.レオン・バッティスタ・アルベルティ - 初期ルネサンスの建築家。『絵画論』において、建築図面への透視図法の利用を初めて理論的に示したと言われている。

2.設計メディアの本質

池田靖史(いけだ・やすし)1985年、東京大学工学部建築学科卒業後、同大学工学系大学院修士課程修了。博士(工学)。株式会社池田靖史建築計画事務所設立(2003年、株式会社IKDSに改称)。主な作品:慶應義塾大学SFCマルチメディア会議室(1999)、慶應義塾普通部新本館(2001)、コーポラティブハウス代沢+(2005)、酒田市公益研修センター多目的ホール(2006)、台北中央駅再開発空港高速線駅舎設計(2006)ほか。主な著作に『ヴィジュアル版建築入門5 建築の言語』彰国社(共著)など

I 歴史認識はその通りだと思いますね。そういう流れで捉えると、1つにはコピーがとれるようになったのがエポック・メイキングですよね。何ができるようになったかっていうと、情報の整理のしかたが、ずっとフレキシブルになった──もっと言うとエンハンス(強化)されたんですよね。例えば一口に平面図といっても、設備の平面図があったり構造の平面図があったりして、情報は別々に描き込むわけだけど、それは図面がコピーされているからできるんですよね。一枚に全てを描くこともできるけど、そうすると読み取れないものになってしまう。情報を分散して描くためにも、図面がコピー可能なものであるっていうのは、重用な技術なんです。結果として、より複雑な建物をよりスピーディに施工できるようになる。

 それと同時に、技術史的には──マリオ・カルポ2という建築史家も言っているけど──図面ができることによって、ある技術が伝達可能になるわけですよね。「この石をこう積めばこのアーチは保てる」というのは、それまでは一度その作業を経験した職人さんがよそに出かけていって、自身で同じことを再現するしかなかった。しかし図面ができたことで、それを見れば他の人にも「このくらいで石を切って置けば壊れないらしい」というのが伝わると。すると、同じことがどんどん起きるようになる。

中村健太郎(なかむら・けんたろう)1993年、大阪府生まれ。慶應義塾大学SFC卒。NPO法人モクチン企画にて建築設計・システム開発に従事

 17、18世紀になると、以前に比べてずっと複雑な建物や構造物がスピーディに、また計画的につくれるようになってくる。この時、経験と勘でつくっていた頃と比較して考えてみると、建築技術論と製図論というのは、別個ではなくてリンクした問題とみなせると僕は思っているんですね。どういうことかというと、人間のデザイン能力が進化しているわけではなく、図面というメディアとそのコピー技術が出てきたことで、複雑な建物を間違いなくつくれるようになった。だからゴシック時代の頃に向かってさらに複雑な建物がつくられるようになっていくのは、単に様式の問題だけじゃないと思うんですよね。鉄などの新しい材料も使われ始めたし、材料それぞれに応じて別々の職人がつくらなくちゃいけないとか、複雑化する現場をどうコーディネートしていくかが問題になったはず。

 そのように考えていった時に──これはBIMの話にもつながっていくけど──図面の役割っていうのはワークフローのコントロールなんだ、ということが分かるんですよ。職人の口づてという手法に、図面が取って代わった。そして建設現場の人だけじゃなくて、お施主さんとか全ての人のあいだで、図面がある種の記録媒体となることで、はるかに複雑な建築をスピーディーにつくれるようになったっていうのがミソだと思うんですよね。

N 図面という情報メディアの取り扱いが洗練されていった結果として、より複雑な建築の生産プロセスを運用することが可能になったと考えるわけですね。つまり、図面によってワークフローの管理が可能になったこと自体が重要だと。

2.マリオ・カルポ - 建築史家。建築における設計メディアの役割に着目した歴史研究を展開。

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