コールセンターに寄せられる膨大な顧客の声。多くの企業にとって“宝の山”でありながら、そこから真のニーズを読み解くのは容易ではない。パナソニックの国内家電のマーケティング部門は今、この壁をAI活用によって打ち破ろうとしている。効率化の枠を超えて「顧客の本音」を浮き彫りにする、データ活用の神髄に迫る。
コールセンターやアンケート、問い合わせ、レビューなどから得られる膨大な顧客の声(VoC:Voice of Customer)。そこには製品への要望や生活者のリアルな価値観が刻まれている。しかし多くの企業にとって、この膨大なデータは“宝の山”でありながら解読困難なブラックボックスでもある。従来のテキストマイニングではキーワードの出現頻度を把握できても、裏側にある文脈や真意を十分に捉えることは難しい。かといって、大量のデータを人が読み解くのは困難だ。
生成AIを駆使し、これまで困難とされてきた顧客理解の在り方を根本から変えようとしているのが、パナソニックの国内家電マーケティング部門だ。データ分析・活用、システム開発を支援するDATUM STUDIOと連携して、AIペルソナによるバーチャルリサーチの手法を確立している。
従来のデプスインタビュー(1対1で時間をかけて深掘りするインタビュー調査)に比べてコストを削減し、数カ月かかっていた仮説検証を数日に短縮する。この進化の背景には、技術を業務効率化のための単なる道具にとどめるのではなく、顧客の本音に迫ろうとする担当者たちの思いと、それを支える技術実装があった。
パナソニックのコンシューマーマーケティングジャパン本部(CMJ)は、国内家電のマーケティング戦略を担う組織だ。広告戦略から流通向けツールの制作まで、消費者が目にする施策はここから生まれる。同本部は現在、単なる売り切り型から購入後の体験価値を最大化して顧客と長期的な関係を築く「新・商売の基準」戦略への転換を進めている。顧客に長く安心して家電を使い続けてもらうために戦略の中核に据えられたのが、VoCの活用だった。
同社の若松伸一郎氏は、プロジェクトの立ち上げ当初を次のように振り返る。
「多様なデータは存在するものの断片的な側面があり、お客さまの生活課題や背景を今まで以上に把握するためには異なるアプローチが必要でした」
一方、コールセンターには週に十数万件もの問い合わせが寄せられていた。しかし、その貴重な「生の声」は十分に活用されていなかった。
「分析対象となっていたのは、オペレーターが要約・入力したお客さまとのやりとりです。顧客理解のためではなくあくまで業務報告なので、お客さまの生活背景やインサイトを捉えづらく、マーケティング活用につなげるのは困難でした」
転機は、若松氏がコールセンターを視察した際に顧客とオペレーターのやりとりを耳にしたことだった。要約データからは見えてこなかった「不満が生まれる背景」や「生活の文脈」が、生の音声からは鮮明に浮かび上がってきたという。
若松氏と同じ部署に所属する山元莉帆氏も「家電の使い方についての相談や故障に関する問い合わせなどさまざまな声に触れることで、顧客がなぜその行動に至ったのかという背景を理解できました」と語る。
パナソニックにしか存在しないこの膨大なデータをAIで解析できれば、顧客理解はより深まるはずだ。若松氏は折しも精度向上が著しかった生成AIの活用を前提に、VoC分析プロジェクトを立ち上げた。
プロジェクトのパートナーとして選んだのは、DATUM STUDIOだった。同社で執行役員兼データサイエンティストを務める淡島英輝氏は、若松氏の構想を具体的なアーキテクチャに落とし込んでいった。
こうして生まれたのが、デプスインタビューをバーチャル空間で再現する手法だ。
「VoCから抽出したユーザー属性や行動傾向を基に、インタビューを受ける『AIペルソナ』を構成します。そこにインタビュワー役のAIが質問して、デプスインタビューと同様のやりとりを自動生成する仕組みです」(淡島氏)
着想のきっかけは、ある社内実験にあった。実際の顧客データを入力した生成AIに人がインタビューして、AIがどこまで顧客の“分身”としての再現性を持ち得るかを検証していたときのことだ。
「検証者がAIに対して『さっきはこう言っていたよ』『前の回答と矛盾しているのでは』など人間同士ではなかなか指摘しづらいことを率直に伝えていました。その姿を見て、相手がAIならではだと感じました」(若松氏)
人対人の対面調査では、相手への配慮や遠慮から一歩踏み込めない場面がある。しかし、相手がAIなら気兼ねなく追及できるのだ。
「利用者がプロンプトに何を書けばいいか分からない」というハードルがAI活用を妨げる原因になるという気付きもあった。「人が書くのが難しいのであれば、プロンプト自体もAIに生成してもらえばいい。この発想が加わったことで、AI同士が対話して知見を引き出す『バーチャルインタビュー』の構想が固まりました」と若松氏は言う。
もちろん課題もあった。AIペルソナは、インタビュワーの発言に対して肯定的に応答する傾向がある。これを回避するため、「忌憚(きたん)なく意見を述べる人物」という性格設定をプロンプトレベルで調整するなど、リアリティーを追求するための工夫を重ねた。
バーチャルリサーチの品質を左右するのは、AIペルソナにひも付けたVoCの適切さだ。特定のインタビュー設定に合致するVoCデータを抽出することは、従来の検索手法では困難を極めた。
これを解決するために導入したのが「ナレッジグラフ」だ。VoCに含まれる「商品」「機能」「顧客属性」「意見」といった要素を分解し、それらの関係性をグラフ構造で再構成する技術だ。
基盤に Google Cloud の Cloud Spanner を採用し、グラフデータベースとして実装した。これによって従来のタグベースの検索では実現できなかった「部分的な設定の合致」からの情報抽出が可能になった。
「『この属性の人はこういう課題を抱えている』といった要素を抽出して再構成することで、設定にフィットした情報をAIペルソナに渡せるようになりました」と淡島氏は語る。
これまでの取り組みは成果に結び付き始めている。象徴的な事例が、熾烈(しれつ)な市場競争が続く炊飯器の販売現場で生まれた。
パナソニックが競合を追う状況下、販売員のセールストーク強化が課題だった。そこで、購入者が製品のどこに魅力を感じているのかをバーチャルインタビューで検証した。
「『少量炊きでも粒立ちや甘みが際立つ』『お手入れが楽で、毎日のルーティーンの負担が軽い』といった具体的なワードが抽出されました。これらはトップセールスを記録している販売員が、実際に使っているセールストークと一致していました」と山元氏は明かす。
優秀な販売員のノウハウは属人化しやすく、社内で共有されにくい。しかしAIによるバーチャルインタビューを使えば、“顧客が本当に求めている価値”を高い精度で把握できる。
「本来は現場で数多くのお客さまと会話して初めて得られる知見を、“ショートカット”してキャッチアップできます。これは販売員全体の能力の底上げにつながる大きな可能性があります」と若松氏は手応えを語る。
コストと工数の両面でパフォーマンスも高めている。従来のデプスインタビューほどの予算をかけずに、シミュレーションが可能になる。数カ月を要していた初期仮説の形成も、数時間から数日に短縮された。
「最も効果を感じたのは、仮説検証のサイクルを圧倒的なスピードで回せるようになったことです。失敗を恐れずに何度も検証できる環境こそが、顧客理解を深める鍵になります」と若松氏は強調する。
2年半に及ぶプロジェクトの背景には、パナソニックとDATUM STUDIOの強固な信頼関係がある。若松氏は、DATUM STUDIOのサポートをこう評する。
「アイデアを相談すると、技術的に可能かどうかだけでなく、なぜそれが可能なのかを言語化してくれます。それによって私たちにも知見が蓄積され、次の新しい発想が生まれやすくなっていると感じますね」
淡島氏も、パナソニックの明確なビジョンが推進力になったと語る。
「パナソニックさまは実現したいゴールが明確です。リソースや期限といった具体的な議論に落とし込んで進めることができるため、エンジニアとしても非常にやりがいがあります」
企業がAI活用で真の成果を上げるための条件について、淡島氏は技術起点ではなく課題起点であるべきだと説く。
「『VoCをもっと活用したい』『調査コストが高い』といった課題から始めることが重要です。そこに技術を当てはめていくという順序が、顧客基盤の大きい企業ほど成果につながりやすいでしょう」
パナソニックの取り組みは、PoC(概念実証)の段階から本番環境に移行するフェーズだ。今後は、サードパーティーデータによる統計的な裏付けの強化や会員組織「CLUB Panasonic」を通じた調査との連動も視野に入れている。
バーチャルで仮説を磨き上げて、リアルな調査で精度を証明する。この「ハイブリッドな顧客理解」が実現すれば、家電マーケティングの在り方が次のステージにアップデートされるだろう。
膨大なVoCという“宝の山”を掘り起こし、生活者の本音を製品やサービスに還元する挑戦。技術を目的化せず常に顧客を見つめ続けるパナソニックのアプローチは、AI時代のビジネス変革を目指す企業にとって実践的な指針となるはずだ。
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