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日本人はなぜオタクとなり得たか(1/3 ページ)

» 2005年03月07日 10時11分 公開
[小寺信良,ITmedia]

 いつの時代も秋葉原という街は、マニアの聖地という数奇な運命を背負っているようだ。戦前にはNHKが、戦後には民放ラジオ局が開局し、ラジオブームが到来した。しかし当時のラジオとは、安価に流通させるために組み立てキットが主流だったため、普通の人が組み立てるのは難しかった。

 そこで当時の学生が、ラジオのキットを組み立てて販売するというアルバイトを始めたところ大当たりしたというのが、「秋葉原電気街」の発祥であったという。それまでは電線を始めとする電化部材を求める業者の街だった秋葉原は、一般人へ広く門戸を開くこととなる。

 その後、三種の神器と言われたテレビ・洗濯機・冷蔵庫の街となって飛躍的な進歩を遂げながら、その裏ではスキルのある者を対象としたオーディオパーツ、そしてマイコンキットの街として、多くのマニアが集まることとなる。

 筆者自身の過去には、いわゆる「マイコン少年」の時代はない。九州の片田舎にあっては、そんなものが存在することすら知らなかったのである。音響工学の専門学校に入学が決まって東京に出てきたとき、クラスメートの数人がシャープのポケコンに凝っていたのを思い出す。考えてみればその翌年の1983年、中森明夫氏が初めて「オタク族」という言葉を発明する。

 関数電卓男の中でもっとも変わっていた人物が、いつも筆者のことを「おたくは〜」とか「おぬしは〜」とか呼んでいたのを、非常な違和感を持って聞いていたことを思い出す。正真正銘オタクの本物に出会ったのは、それが初めてだった。

 当時からアニメとコンピュータは、オタク的な嗜好にマッチしたようだ。秋葉原がパソコンの街として変貌を見せ始めるのは90〜93年あたりだが、その頃からすでに店頭のPC-98の画面には、ドット画の少女キャラが表示されていた。アキバを歩いてすれ違う人と、新宿あたりですれ違う人に、あきらかに違いを感じるようになったのもその頃からである。

 秋葉原がアニメやエロゲの街に変質するのは必然であり、むしろそう評価されるのは遅すぎるぐらいだと思っている。パソコンの用事とアニメの用事が一カ所で済めば、オタクにとってこんな便利な場所はない。最近、秋葉原の路地を歩きながら、そんな風に感じる。

もはや避けることができない「オタク道」

 筆者自身がオタクのファーストジェネレーションと重なるせいか、筆者は古株の、いわゆる筋金入りのオタクな人と知り合いになるケースも少なくない。筆者と年齢が近いということは、まあ19、20歳でオタクと言われ始めてかれこれ22〜3年になる。もし何かをコレクションしていたとしたら、ものすごい量になっているはずである。

 オタクのコレクションというのは、モノと情報に集約される。情報はシュリンクできるが、モノはそうもいかない。過去に溜め込んだ何かで床が抜けるという事故が何件か起こっているが、そりゃ床も抜けようというものである。

 まあこう書くと自分だけはオタクじゃないと言わんばかりだが、筆者も自分では意識していないだけで、他人や違う世代から見れば十分にオタク的な要素は持っていることだろう。今や多くの日本人は、このオタク的な偏執傾向を持っていると言えるのではないだろうか。

 ここでまず誤解のないように、まず本稿でのオタクの定義を明確にする必要があるだろう。このコラムとしては、かつてのオタクのイメージである根暗、ダサい、ロリコン、性犯罪者予備軍といった意味では扱っていない。一般の人があまり価値を認めない、なにかのテーマに没頭して研究するタイプの人間の総称という、かなり広い意味で捉えている。

 本物のオタクから見れば、そんなものはオタクではないと言われるかもしれないが、とりあえずそれに変わる軽度な言葉が見つからないので、ここではそのままこれを利用させてもらうことにする。

 「オタク」という行動原理が市民権を得た……かどうかは定かではないが、とりあえず社会にその存在が認知されるようになってから、その心理や行動原理といった研究は、もっと身近なテーマとして考えていくべきだろう。

 たとえばオタクな人が収集するものには、一般的には資産的価値に乏しいことが多い。何かのブームが到来して一躍資産価値が高騰するケースもあるが、オタクがオタクである限りそのコレクションを手放さないので、資産価値はないも同然である。このような収集の趣味は、以前の収集家のあり方とはあきらかに価値観の面で違っている。

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