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» 2019年04月19日 06時00分 公開

大差付けられた:後発「ジャンプ」大躍進 「マガジン」意地の再逆転 (1/2)

田中万里子(まりこ)(83)は「週刊少年サンデー」創刊(昭和34年)時のメンバー。13人の編集部員中、ただ1人の女性だった。「事務と読者のページ(投稿欄)、科学のコーナーを担当しました。当時、各出版社にあった『少年社員』制度で、仕事をしながら夜間高校・大学を卒業したのです」。田中の小学館入社は26年、そのころ姉妹会社の集英社は同じ社屋にあり、社員採用も労働組合も同じだった。「たまたまですが、サンデー編集部で私の隣席は集英社社長の親類の方でしたよ」

[産経新聞]
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 田中万里子(まりこ)(83)は「週刊少年サンデー」創刊(昭和34年)時のメンバー。13人の編集部員中、ただ1人の女性だった。「事務と読者のページ(投稿欄)、科学のコーナーを担当しました。当時、各出版社にあった『少年社員』制度で、仕事をしながら夜間高校・大学を卒業したのです」。田中の小学館入社は26年、そのころ姉妹会社の集英社は同じ社屋にあり、社員採用も労働組合も同じだった。「たまたまですが、サンデー編集部で私の隣席は集英社社長の親類の方でしたよ」

photo 昨年の創刊50周年に合わせて「週刊少年ジャンプ展」も開催された=東京・六本木(本間英士撮影)

 両社は、小学館が「学習・教育」、集英社は「娯楽・趣味」と棲(す)み分けをし、集英社は、人気漫画を持つ月刊誌「少年ブック」「少女ブック」などで人気を博していた。

 少年向けの週刊誌では、小学館(サンデー)が一歩先んじたが、集英社も43年、月2回発行で「少年ジャンプ」の発行に踏み切る。翌年には週刊化、「男一匹ガキ大将」の本宮ひろ志や、「ハレンチ学園」の永井豪ら、抜擢(ばってき)した新人の作品が大ヒット。後発ながら49年には「週刊少年マガジン」を抜いて部数でトップに立ち、以来、四半世紀近く王者として君臨する。

 マガジンの編集長を11年間務め、講談社の専務に登り詰めた五十嵐隆夫(72)は悔しい思いでジャンプの躍進を見つめていた。41年、商業高校を出て同社に入社。そのころマガジンはサンデーを抜いてトップに立ったが、61年に編集長を引き継いだときは、常勝ジャンプはもちろん、再び、サンデーの後塵(こうじん)を拝していた。「サンデーも強敵でした。でも、頭にあったのは、ジャンプを抜くことでしたね」。五十嵐にはトラウマがある。週刊の前に「月刊少年マガジン」の編集長を5年間務め、そのときも、「月刊少年ジャンプ」に大差を付けられていた。

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