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» 2020年02月29日 08時00分 公開

平成25年8月、日本橋から電器屋が消えた (1/3)

平成25年8月、関西のサブカルチャー街といわれる大阪・日本橋(にっぽんばし)に激震が走った。「来た、見た、買(こ)うた」のテレビコマーシャルで知られた総合家電専門店「喜多商店」が閉店したのだ。

[産経新聞]
産経新聞

 平成25年8月、関西のサブカルチャー街といわれる大阪・日本橋(にっぽんばし)に激震が走った。「来た、見た、買(こ)うた」のテレビコマーシャルで知られた総合家電専門店「喜多商店」が閉店したのだ。メインストリートの堺筋から「街の電器屋さん」は完全に消滅してしまった瞬間だった。

「でんでんタウン」は看板倒れに

 日本橋の歴史をひもとく。

 戦後の混乱期に露天商で販売されたラジオの部品が大人気となり、高度経済成長期にはテレビ、洗濯機、冷蔵庫という「三種の神器」を中心とした家電ブームに乗って、急速に発展した。堺筋沿いには電器屋が立ち並び、昭和53年に「でんでんタウン」の愛称がつけられ、電気街としての地位を確立していった。

photo 喜多商店の閉店で電気街から電気が消えた=大阪市浪速区、平成25年9月

 だが、平成に入ると「ヤマダ電機」や「ビックカメラ」といった大型家電量販店が相次いで大阪に進出。人の流れが激変し、閉店する店舗が続出した。

 かつて日本橋では「上新(じょうしん)電機」「ニノミヤ」「中川無線」「マツヤデンキ」の家電四天王を中心に電器屋さんが栄華を誇っていたが、現存しているのは上新電機のみ。その上新電機も、日本橋付近では「ジョーシン日本橋1ばん館」だけとなっている。

 日本橋では平成15年頃から、電気街からサブカルチャー街への変革が進んでいた。だが、変革に反対する向きもあったため、なかなかシフトチェンジができない状態が続いていた。

 そんな中、「電器」という主要コンテンツが消えたことは「街の顔」となるべき存在がなくなってしまったことを意味する。日本橋筋商店街振興組合の関係者も「でんでんタウンは看板倒れになってしまった」と認めざるを得なかった。

 こういう事態になることは、18年に日本橋の取材を始めた段階から予測できていて、「“電器”に代わる新しいコンテンツ作り」は関係者側に何度も進言していた。あまりに予想通りの展開に、地元で生まれ育った人間としては非常に残念という思いしかなかった。

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