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» 2020年12月10日 09時00分 公開

日本のバイクに「JAPANブランド」復活のヒントがある

 いまなお子供たちに人気の仮面ライダー。さっそうと疾走するバイクは心躍る場面だ。日本の「ものづくり」が誕生し、世界でトップクラスの生産技術力によって市場を席巻したが、やがてそのシェアを落とし最後は撤退する。1980年代から見てきた姿だ。カメラ、家電、太陽光パネルなど枚挙にいとまがない。(京都先端科学大・旭川大客員教授・増山壽一)

[SankeiBiz]
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 いまなお子供たちに人気の仮面ライダー。さっそうと疾走するバイクは心躍る場面だ。日本の「ものづくり」が誕生し、世界でトップクラスの生産技術力によって市場を席巻したが、やがてそのシェアを落とし最後は撤退する。1980年代から見てきた姿だ。カメラ、家電、太陽光パネルなど枚挙にいとまがない。(京都先端科学大・旭川大客員教授・増山壽一)

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 そうした中、世界市場で50%以上のシェアを占め、「JAPANブランド」として品質への信頼を維持し続けているバイクに日本産業復活のヒントがあるのではないか。

 アジア諸国に行くと、バイクの家族4人乗りや、巨大な荷物をくくり付けトラックのような姿で走るのは当たり前の光景であり交通手段として欠かせない。そのバイクは当然日本製。普通名詞としての「HONDA」だ。ASEAN(東南アジア諸国連合)の今日に至る経済発展を支えたのは、日本のバイクであったといっても過言ではない。

 ホンダは、なぜ強くあり続けているのか。45年まで、バイクは英国や米国、ドイツ製であった。車が急速に普及し価格が安くなると、車の代用品としてのバイク市場は一気に縮小した。そうした中で、ホンダやスズキ、川崎重工業、ヤマハ発動機といった日本メーカーは、いまだ車が買えない国内でバイクを作り始めた。最初は外国メーカーの写真から見よう見まね。

 しかし当時の日本には、戦前の飛行機を作った技術者が多くいた。彼らは、GHQ(連合国軍総司令部)から飛行機製造を禁じられていた中でバイクに技術力を注いだ。まさしくバイクに翼が生えて、仮面ライダーのように空を飛ぶ思いだったのであろう。

 日本の技術力を世界に証明するには、海外のグランプリレースに参戦して勝つことだった。「日本人がおもちゃのようなバイクを作ってきた」と嘲笑される中、やがて優勝しブランドを確立していった。80年以降、アジアにおける市場を獲得し、舗装道路が少ない地域でも丈夫な日本製バイクは国民の足となり、品質への信頼を得て一気に世界市場を獲得した。

 インドなどでは、日本とのパートナー企業がそのシェアを大きく持っていることを考えると、世界市場では今でもドミナントな存在である。

 貧しい人々にも手が届き、安心して家族が乗れるような安全で丈夫なものを作る。技術を磨き、世界に売って試す。その結果信頼を得る。良きパートナーがいれば合弁をする。そして新たな市場を作り続ける。そんなことを愚直に行うことが日本と世界を救う。コロナ禍でもできる戦い方は必ずある。

【プロフィル】増山壽一 ますやま・としかず 東大法卒。1985年通産省(現・経産省)入省。産業政策、エネルギー政策、通商政策、地域政策などのポストを経て、2012年北海道経産局長。14年中小企業基盤整備機構筆頭理事。旭川大学客員教授。京都先端科学大客員教授。日本経済を強くしなやかにする会代表。前環境省特別参与。著書「AI(愛)ある自頭を持つ!」(産経新聞出版)。58歳。


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