江副氏は13年にわたって裁判を戦った。決着したのは2003年3月。懲役3年、執行猶予5年の有罪が確定する。そして2013年1月31日、盛岡から新幹線で東京駅に着いた直後、駅で転倒し後頭部を強打して、8日後に息を引き取る。享年74歳だった。
事件後に表舞台から去った江副氏が、不遇のうちに生涯を終えたのではないかと多くの人は想像するかもしれない。ところが、大西氏が取材を進めるうちに見えてきたのは、晩年まで精力的に仕事や株に取り組んでいた姿だという。
「江副さんは裁判が終わって、刑が確定した後もビジネスをしていました。最後に取り組んでいたのは外国人向けの家具付き賃貸マンションです。東京に来る外国人が増え、長期滞在のニーズが出てくると考えて、ヨーロッパやアメリカにあったVIP向けの家具付きマンションの展開を始めていました。インバウンドという言葉が生まれるはるか前です。亡くなっていなかったら、インバウンドで大もうけしていた可能性が高いです。
事件が起きた後には、リクルートが開発した岩手県の安比のスキー場に、冬季オリンピックを招致しようと動いた時期もあります。この招致合戦は西武グループに敗れて、長野オリンピックが開催されました。13年もの長い間裁判を戦いながら、活発にビジネスをしていたのは意外でした。最後まで希望を捨てていなかったのでしょう。
東京駅で倒れた時、乗っていた新幹線の網棚にボストンバックを忘れていました。その中に入っていたのは、百万円近い現金と会社四季報です。倒れる直前まで株に投資していました。おそらく最後まで人生を楽しんでいたのではないでしょうか」
江副氏がリクルートを創業し、新しい事業の開拓に力を注いできた過程は、「希望の物語」としても読める。先行きが見通せないコロナ禍を生き抜いていくためのヒントが詰まっていることも、本書がヒットしている要因と言えそうだ。
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