横浜名物として全国的な知名度を誇る崎陽軒(横浜市)の「シウマイ弁当」が今年、発売から70年を迎えた。冷めてもおいしく食べられるようにレシピ、製法で工夫を施してファンを獲得したが、かつては全国展開に伴う量産化の中でシウマイの食感が変わり、売り上げを落とす苦難も味わった。「真に優れたローカルブランド」を掲げて生産、販売改革を行って再建を図り、シウマイ弁当の人気を背景に他県の地域振興に一役買う存在にまで成長した。
明治41年創業の崎陽軒は東京駅ではなく、横浜駅で駅弁を買ってもらうための名物を作ろうと昭和3年、シウマイを発売した。豚肉にホタテの貝柱を混ぜて冷めてもおいしく食べられる味を実現。横浜駅のホームで赤い服姿で販売する「シウマイ娘」が25年に登場すると話題を呼び、映画の登場人物にもなった。売り上げが伸び、横浜名物として定着する中、シウマイ弁当は29年に誕生した。
シウマイとともに同社の2大看板となり、作れば作っただけ売れる時代を迎えた。真空パックシウマイも打ち出し、さらなる売り上げ拡大の一手として50年に新工場「シウマイセンター」を竣工した。だが、「結果としてこれが失敗だった」と野並直文会長(75)は振り返る。
量産化、省力化を追い求める思想のもとで設計されたセンターは従来に比べて、シウマイ作りで一度に加工する豚肉などの量を2倍に増やした。混ぜる時間が伸びることで食感が変わってしまったといい、「味が落ちたと随分言われ、実際に売り上げも落ちた」(野並氏)。
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