能は鎌倉時代後期から室町時代初期にかけて完成された、世界に誇る舞台芸術である。それまで猿学と呼ばれていた娯楽であった能を、時の将軍・足利義満の庇護を受け、当時の貴族が好んだ“幽玄”の世界の観賞へとステータスアップさせたのが世阿弥である。能の高尚さは、ここから発祥している。 現代まで連綿と引き継がれてきた伝統に、はじめて新風を吹き込んだのが、名門観世流の能楽師・故観世榮夫(かんぜ・ひでお)さんである。 観世榮夫さんは、先にご紹介した狂言界の異端児・茂山千之丞さんと同様に、他流派への移籍や能楽協会の脱退や、新劇やオペラ、テレビなどの出演や演出など、能の世界において数々の慣習を打ち破った先駆者である。今年お亡くなりになられたのが記憶に新しい読者も多いのではないだそうか。その観世榮夫さんに師事し、現在は観世流銕仙会のシテ方として活躍なさっている柴田稔先生にお話をうかがった。 柴田先生は世襲制のイメージが強い能楽界の中で、異業種から転身したという異色の経歴の持ち主である。 |
「もともと大学時代から能が好きだったんです。卒業後は美術系の雑誌の編集者になり、プライベートで自分から進んで観世榮夫先生に能を習いに行っていました。そんなある日、『書生にならないか』とお声をかけてくださったんです。書生は丁稚奉公の期間が最低5〜6年はかかる。当時の私の年齢ですと、30前にやっと独立で、ほかに潰しはきかない。親からは勘当ものでしたが、やはり能が好きでしたから、この道に入ったんですね」 能はお囃子と舞が一体となって演じられる“ミュージカル”として親しんで欲しいと柴田さんは語る。 「私の師匠は、狂言家の茂山千之丞先生と親友であり、“お能”と“お狂言”から“お”をとろうと活動する仲間でもありました。両先生の活動は、昔ならば切腹ものだったそうです。そういった先達がいらっしゃるから、我々が幅の広い活動をできるようなったと感謝しています。私も、哲学的になりすぎた能に室町時代の庶民のエネルギーを取り戻し、ドラマとして再生させることが願いです」 |
とはいえ、初心者には能はどうもストーリーや言葉、動きが理解しづらく、途中で眠くなってしまうのが正直なところ。眠らずに観ることができるおすすめの演目などあるのだろうか。 「動きがドラマティックな『船弁慶』や『土蜘蛛』は、初めての方にもわかりやすく、素直に楽しめる作品だと思います。眠ってしまってもいいんです。能で演じる幽玄の世界は、この世とあの世の狭間の世界です。謡やお囃子を心地よく感じているという証拠ですから、たいへん贅沢な眠りなのですね」 眠ってもマナー違反ではないと伺ってほっと一安心。とはいえ、「せっかく観劇に行ったのにそれでは勿体ない……」というのも然りである。初心者も楽しめるようなイベントの予定を伺ってみたところ、ちょうど信州でワークショップイベントに出演なさるとのことで、さっそく同行させて頂いた。 会場である「野尻湖プリンスホテル」は今年6月6日から、西武グループから経営が野尻湖ホテル(株)に移って通年営業にかわり、温泉浴場の新設や、様々なイベント計画などを積極的に行っている。今回の古典芸能イベントは、文化的な催しを行う「芙蓉会」の記念すべきスタートとのことで、観世流銕仙会と茂山千五郎一家による豪華な顔ぶれで行われた。周辺は、ちょうど紅葉の盛り。開放感に溢れたメインラウンジでの進行は、森の中で行われているかのようであった。 |
このイベントのトリを飾る柴田さんが舞う演目は「敦盛」。16歳の若さで討ち死にした平家の武将・敦盛の姿が、はるか時を隔てた現代で演じられる。本来、能は1時間以上演じられるものだが、刀を振る風圧が届いてくるほど距離が近い舞台、凝縮して演出された20分間に眠る観客の姿はなく、演目が終わったあとに会場に聞こえたのは拍手ではなく、唾をごくりと飲み下した音が響くほどの静謐であった。 |
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「先代の八世・銕之丞先生が仰っていた名言に、『おもてとうら』という言葉があります。『おもて』というのは舞台で使う能面、『うら』とは役者の内面。役者は『うら』の存在が大切で、面のうらにさまざまな想いが隠されているからこそ、『おもて』が生きてくるのです」(柴田さん) 野尻湖プリンスホテルでは、今後も「芙蓉会」のような催しを積極的に実施予定とのこと。このようなイベントに親しみながら観劇へステップアップしていけば、古典芸能がもっと身近になり心から楽しめるようになる。能のおもてに込められた、役者のうらの想いを読み取ることができるようになる日も、きっとそう遠くはない! |
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取材・文/似鳥陽子
取材協力/野尻湖プリンスホテル