東芝というメーカーはとても真面目なのだと思う。今後伸びそうな分野があると、必ず製品を投入する。まるでそれが義務であるかのような生真面目さだ。例えば音楽プレーヤーがはやると、東芝は「gigabeat」というブランドで製品を大々的に展開していた。
ただ、問題は長続きがしないことだ。ふと気付くと「撤退」ではないのだが、新製品が出ない状態が続いて、なんとなくその分野からはいなくなっている。
デジカメもそうだった。95年のカシオ「QV-10」が一般向けのデジカメの始まりだとすると、その後96年にオリンパスが参入し、キヤノン、富士フイルム、ニコンが次々とデジカメを発表した。しかし、あまり話題にはならないが、97年、東芝も地味にデジカメを発売していたのだ。
スマートメディアというメモリーカードを作っていたから、デジカメを作るのはその販売促進の意味もあったのだろう。だから東芝のデジカメはどうも力が入っていない、片手間な感じの製品が多かった。
ところが、2000年の春モデルで東芝はとんでもない力作を世に送り出す。この時代は1/1.8型CCDで300万画素クラスがコンパクトデジカメのフラッグシップで、東芝もそれに乗ったのだ。レンズは、その半年後にキヤノンから発売される「PowerShot G1」の明るいズームレンズ(35〜105ミリ、F2〜2.5)を先取りする形で採用していた。
雑誌時代の「PC USER」でも販売促進用の小冊子を作った覚えがあるから、かなりの広告予算を使って売り出したのだろう。なにしろ定価が10万円もするハイクラスのデジカメだ。
発売当時、僕は「300万画素デジカメ特集」という記事でこの機種を撮影したが、「違和感」が強く記憶に残っている。とても微妙な部分なのだが、写真とかカメラとか、そういう脈々と続いてきたものに対する理解が、ほんの少し足りなかったのかなあというのが素直な気持ちだ。
これだけ作り込まれたデジカメに、なぜ違和感を感じてしまうのか。それは写真というものに対する愛情の差だと思うのだ。ある製品を世に送り出すメーカーは、ユーザーと同等か、それ以上の愛情を製品に対して持っていなければならないのではないか、と僕は思っている。
まず気になったのはAllegrettoというネーミングだ。趣味で写真を撮っている人たちはアレグレットと言われても「?」と思うしかない。カメラを想起しないのだ。この頃の東芝は、ノートPCの「libretto(リブレット)」とか、デスクトップPCの「BREZZA(ブレッザ)」とか、なぜかイタリアンなネーミングで統一されていた(Allegrettoはイタリア後で「軽快に、快速に」の意味)。
「いやそうじゃなくて、こんないいカメラにアレグレットでいいんですか」と誰かが言えなかったのか。例えば東芝の「T」をとって「T-1」とかだったらカメラマニアは納得しただろうに。ものすごく手の込んだエンブレムがなぜか悲しい。
もう1つの「?」は、多分これからも出てこないだろう「アルミダイキャストのボディ」だ。アルミダイキャストは古くから一眼レフのボディの素材として使われてきたが、それは軽量と高剛性を買われてカメラの骨組みとして採用されていた鋳物の金属だ。アルミはむしろチープな印象を与えるので、非常に扱いが難しい素材なのである。
それをあえて表面に露出させる意味がどうにも分からない。たぶん「アルミダイキャストボディ」とカタログに書きたかっただけなのではないかと勘繰りたくなる。
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