「この作品が売れたのはオレ様のおかげ」? 出版社の著作隣接権は「誰得」なのか(4/4 ページ)
出版社にもレコード会社の「原盤権」のような著作隣接権を与えるべきだという議論があわただしくなってきている。それで一体誰が得をするのか、創作の世界を大きく変える可能性もあるこの問題について、出版の現場に詳しい作家の堀田純司氏に寄稿してもらった。
どんどん嫌な雰囲気になっていくだけでは
だいたい、現場で「著作隣接権がほしい」と考えている人は多くないのではないでしょうか。「精神論で成り立っている古い世界のビジネスモデルをイノベーションするのだ」というような話であれば結構ですが、少々偏見丸出しで言うと、経験的にこのタイプの人は、編集としては二流か、あるいははっきりとインチキだったりする気もしないでもありません。
それに現実問題として、果たしてそんな権利が運用できるかどうかも疑問です。相手が売れっ子の著者や、「力のある」芸能事務所であったりする場合、隣接権を行使しないという条件を飲まされたり、2次使用に関する権利はもらえないこともあるでしょう。
結局、通るのは大家でも鷹揚な人か、中堅以下だけかもしれません。その結果、格差が拡大して、この世界がどんどん嫌な雰囲気になっていくだけではないでしょうか。これも陰謀論でもなんでもなく、実は、世の中の動きとともにすでに始まっている話です。隣接権の制度化は、パンドラの箱を開けてこうした流れを加速させるだけのような気もします。
また、大きな出版社は大名なので鷹揚なものです。なんだかんだいって組版データも自由に使わせてくれるし、本当はそのデータの出稿にお金がかかるのに、サービスしてくれたりします。編集者もたくさんいるので、優秀で尊敬できる人も多いです。
しかし出版の裾野は驚くほど広く多様であり、いろんな会社、ケースがあります。そこではもともと著者のほうが立場が弱い。私のごときカトンボのような著者は、望まれればいつでもよろこんで、芸能界の厳しい上下関係ばりに枕を抱えて駆けつける覚悟をしています。そこに新たに法人側に権利を設定しようという論議は、とても危ない。
出版社の体力を心配している人がいるかもしれませんが「その前に著者の体力を心配してくれよ。でないと根っこから立ち枯れるぞ」と思います。
「この作品が売れたのはオレ様のおかげ」
編集者がいろいろアイディアを出すにしても、そこにすでにラフがあるから出せる。極端な話、編集者が最初から終わりまでネームを描いたケースがあったとしても、それで成立するのはそこにキャラクターがあるからであり、魅力的なキャラクターを描くことができるのは、すでにその時点で天才の仕事なのです。そのキャラクターという玉があるからこそ、凡人でもそれを転がしていくことができます。こうした、ゼロから1の壁を越える作業、無から有を生み出す才能に対する敬意は、この世界の基本本能として浸透していると思います。
しかし隣接権などという話が出てくるのは、個人を越えて集合無意識的に偏在する「この作品が売れたのはオレ様のおかげだ〜。その権利を主張するのだ〜」という欲望でもあるのでしょうか。そんな奇怪な想像をするくらいしか、その理由が思い当たりません。それくらい不思議な話であり、きっと現場でこれを本気で考えている人は、ほとんどいないのではないかと想像しています。
ある漫画家から「自分の編集さんは、23区内の要所の書店を全部まわって宣伝してくれた。足を向けて眠れない」という話を聞いたことがあります。そうした情熱こそがこの分野を支えているのでしょう。しかしその応えは制度ではなく「デリケートでスリリングなバランス」の中で回収するのが、よりこの商売らしいのではないでしょうか。
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