「常に新しいことに挑戦したい」とソニーグローバルソリューションズの大野部門長待望! 次世代ITリーダー(1/4 ページ)

「ソニースピリット」をITで支えるソニーグローバルソリューションズの大野部門長は、「常に新しいことに挑戦したい」と話す。教科書的な「べき論」ではなく、この業界で卓越した手腕を発揮しているITリーダーに取材し、その実像に迫る。

» 2005年11月07日 07時30分 公開
[浅井英二,ITmedia]

 ソニーグローバルソリューションズは1988年、ソニーの情報システム部門が独立して誕生した。グローバルカンパニーの先進的なビジネスプロセスをITのプロフェッショナル集団として支えている。ウォークマンやハンディカムといった独創的な商品開発で知られるソニーには、「まだだれも成し遂げていないような技術や商品を創造する」というアグレッシブなマインド、すなわち「ソニースピリット」があふれている。これまで「e+」「PlayStation.com」のような、顧客に向いたソリューション構築のプロジェクトを数多く率い、9月からはソリューション・アーキテクチャー部門を統括する大野豊部門長も「常に新しいことに挑戦したい」と話す。

大野豊 ソリューションアーキテクチャー部門長
略歴 国内メーカー企業にて、衛星画像処理・解析プロジェクト、衛星管制システム構築プロジェクトなどの宇宙開発事業を経験したのち、1992年にソニーグローバルソリューションズに入社。リペアパーツシステムの運用、グループウェアビジネス、グループ外ビジネス、ソニーグループのe-ビジネスの立ち上げ、カスタマーリレーション分野に関与、現在はソリューションアーキテクチャー部門においてアプリケーション開発基盤の分野をマネジメントしている

成功のイメージを明確に

ITmedia これまで大野さんが大切にしてきた原則を教えてください。

大野 成功のイメージを常に持っていることが大切です。それも、この半年や1年のことではなく、10年後、20年後に自分がどうありたいかを考え、そのうえで今何をすべきかということです。


 1980年代前半、理科系の大学生だった大野氏は、ちょうどそのころ登場したパソコンに熱中する。「子どものころからプラモデルづくりも大好きでした」と大野氏は懐かしむ。

 ただ、当時のコンピュータの世界はまだ、「コンピュータ業界」と呼べるような確立されたものではなく、「SE(システムエンジニア)30歳限界説」というのもまかり通っていた。


ITmedia なぜ、コンピュータの世界に入ったのですか。

大野 BASICでプログラミングするとすぐに動いて面白かった。ものづくりが好きだったんですね。コンピュータの世界で一流のエンジニアになろうと思いました。


 大学卒業後、大野さんは電機メーカーに入社し、1980年代後半は宇宙開発関連のシステム構築に携わる。「上司は、私の性格を見抜いていたのか、任せてくれました。当時にしては珍しい成果主義の上司でやりやすかったです」と振り返る。

 「ひと口に成功といっても、人それぞれ違います」と大野氏。

 会社に入って、IT部門で働き、プロジェクトマネジャーになりたいという人もいれば、経営者まで上り詰めたいという人もいる。また、アーキテクトとして現場でコードを書いていたいと考える人もいる。本来であれば、その人ごとにキャリアや成功のイメージがあるべきだが、今はそれをうまく示せていないのではないかと大野氏は話す。

 「入社して何年目にはこうあるべき、10年たったらこれぐらいできないといけないといった話をよく聞きますが、それは違います。人それぞれ、方向も高さも違うし、その高さまで行く時間軸も違うのです」(大野氏)

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