“パッケージからの卒業”後のコンテンツビジネス神尾寿の時事日想

» 2005年03月08日 10時03分 公開
[神尾寿,ITmedia]

 ドコモが設置したユニークな研究組織、「モバイル社会研究所」のシンポジウムが開催された(3月8日の記事参照)。それぞれの内容が示唆に富み、興味深いものであったが、中でも筆者が共感したのが、慶應義塾大学経済学部助教授の田中辰雄氏の研究だ。

 詳しくはレポート記事に譲るが、田中氏の「そこにコピーがあるとしても、CDを買う人は買うし、買わない人は買わない」という発言は、現在のコンテンツビジネスを取り巻く状況の一面を切り取っている。

 おそらく多くの読者も気付いている通り、コンテンツ流通における「パッケージの時代」は変化を余儀なくされている。PCや携帯電話などデジタル機器の機能向上や、携帯コンテンツプラットフォームとインターネットの普及により、コンテンツがパッケージという「形あるもの」に収まる必要性を考え直す時期になっている。

 例えば、この傾向が最も顕著な音楽CDの場合、生産数量のピークは2000年のシングル1億460万枚、アルバム2億7632万枚であり、その後は急速に生産数が減少している。2004年の生産数量はシングル6647万枚、アルバム2億2042万枚だ。特にシングルCDの生産数は激減した(日本レコード協会統計より)。

 しかし、音楽に対するニーズがここまで急激に失われたとは考えにくい。音楽業界では、音楽CD販売の低迷の理由として、CD-Rへのカジュアルコピーの増加やPCをはじめ様々なデジタル機器が装備したリッピング機能、携帯電話の着メロや着うたサービスへのニーズ移動などをあげている。

 だが、もう少し本質的な部分に踏み込んでみれば、デジタル技術や通信インフラの進化により、消費者のコンテンツに対する姿勢が、「消費」と「所有」で細分化され始めていることが分かる。

 「コンテンツの消費」の場合、消費者が欲しいのは楽曲や映像の視聴機会であり、コンテンツの流通経路は、便利で安ければ何でもかまわない。音楽分野から起きているリッピングや配信といった新世代のサービスは主に「コンテンツ消費」ニーズを満たすものだ。

 一方、「コンテンツの所有」では形としてコンテンツを持つことが重要視される。コンテンツとパッケージは一体的であり、切り離せない関係だ。消費者にとって特別な価値を持つ音楽や映像は、CDやDVDとして所有されるケースが多い。

 消費と所有の違いは、実は昔から存在していた。しかし、それらのニーズに細かく応じてコンテンツを提供するだけの手段がなく、結果として「放送か、パッケージか」というような両極端な選択肢しかなかった。そのため消費者も自らの潜在ニーズを意識することがあまりなかった。だが、テクノロジーの進化と大衆化が、隠されていたニーズを顕在化させた。

 音楽産業においてシングルCDの売上が目に見えて減少しているのは、シングルCD購入者のニーズが「コンテンツ消費」中心であり、そこがデジタル技術で可能になった、より簡便かつ安価なサービスに浸食されているからだろう。日本の音楽産業の失敗は、時代の変化で「ニーズはあるがCDを買わなくなった」消費者に対して、新たなサービスを提案するのではなく、無理やりCDを買わせようとしたことである。

 コンテンツ産業はそろそろ、「パッケージだけの時代」から卒業すべき時期にきている。コンテンツの所有という観点では、パッケージの価値は極めて大きく、その重要性は変わらない。しかし、より多くの消費者ニーズとしてコンテンツの消費があり、そこにはパッケージの時代から卒業した新しいコンセプトとサービス、コスト感覚が必要だ。

 まずは音楽、その次は映像の分野で、コンテンツサービスとパッケージ販売を複合させた多層的なビジネスモデルが必要である。

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