2Gから3G、そしてその次へ──NECキーマンが語るワイヤレス業界のこれから(1/4 ページ)

» 2005年07月12日 13時01分 公開
[吉岡綾乃,ITmedia]

 携帯電話業界の2004年最大のトピックは、広い意味で見れば2Gから3Gへの移行であったといえる。2005年も半分を過ぎた今、各キャリアごとに進捗状況に差はあれど、かなりの数のユーザーが3Gへと移行した。そして、すでに話題は3Gの先へと移りつつある。

 通信方式を変更するには、ユーザーの持っている端末だけでなく、各種通信機器や、基地局まで幅広く設備を入れ替えなくてはならない。今回は、NTTドコモのPDCからW-CDMAへの移行を通信機器全般でバックアップした企業であるNECに取材し、3G技術の現在と、スーパー3GやWiMAXなど「その先」の技術について話を伺った。NECモバイルビジネスユニット主席技術主幹の古谷之綱氏は、3GPPでもチェアマンを経験している人物だ。

NECモバイルビジネスユニット主席技術主幹の古谷之綱氏

3Gに移行することで新しいサービスが提供できる

ITmedia 2004年、携帯各キャリアにとって最大の課題は、2Gから3Gへの移行でした。“どのように移行するか”、その取り組み方はさまざまだったわけですが、どのキャリアにとっても楽な仕事ではなかったことは共通しています。そもそもなぜ、2Gから3Gへ移行しなくてはならなかったのでしょうか。

古谷 それにはいくつかの要因があるのですが、最大の理由は、新しいサービスを広げていくためです。携帯電話はすでに通話をするだけのものではなく、生活に切り離せないものになってきています。そのため、通話以外の機能、データ系アプリケーションに対して、もっと能力が高いものを使えるようにする必要がある意見があり、2000年くらいから新しい方式へ移行しようということになったのです。日本では1994年に最初に呼びかけがあり、本格的に方法を検討しよう、ということで始まり、「3G」という形で結実しました。

 そのとき我々が重視したのが、“電話は今までと同等かそれ以上の品質のものを、それ以外にデータ系のサービスに対して、パケットでもデータ転送でもいいので、高速に無線転送できるシステムを作らなくてはいけない”ということでした。テレビ電話などはそのときから言われていたことです。

 当時の方法では技術的な限界があり、無線の方式から抜本的に見直す必要があると考えました。行き着いたのが日本の方式としてはW-CDMAで行こうということが決定したのです。このような背景がありました。

普及に時間がかかった理由

古谷 サービスは開始したけれど、始めはなかなか普及が大変でした。私自身の感覚でいうと、2003年の後半くらいからかなと思っているんですが、2004年くらいになると本格的に普及し始めたという感じです。

ITmedia 2000年から取りかかったと考えると、時間がかかっていますね。

古谷 これにはいくつかの要因があります。W-CDMAに限らず、一番最初に新しいシステムを入れたときというのは、なかなか普及が難しいものなのです。

 まずユーザーのマインドがありますね。「本当にそれは大丈夫か?」と心配する。次にネットワークのサービスエリア。基地局がどれくらいあって、どこででも使える状態になっているか、ある程度満足いく状況になるまでは、なかなか使って頂けない。それから端末の性能です。この3つの要因がすべて揃わないと、なかなか普及はしません。

 ネットワークに関しては着々と広がってきますし、同時に端末の基本性能も上がってきています。うちの機種でいうと、一番最初に出した(FOMA)端末は待ち受け時間が55時間でした。それでは短すぎる。そのときのムーバは、400〜500時間くらいの待ち受け時間でしたから。

 しかし技術改良によって、どんどんよくなってきたのです。2003年に約200時間、2004年に(待ち受け時間は)約300時間を超えました。そこまできて、電池のことをあまり気にしないで使えるようになった、それが非常に大きいだろうと。

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