レガシーシステムの呪縛:構造改革としての2007年問題(3/3 ページ)
2007年問題は「COBOLからJavaへ」といった単純な図式では表せない。そういった問題ならこれまで何度も乗り越えてきたからだ。背景には情報サービス産業界の事情も見え隠れする。
背景にあるのは情報サービス企業の事情
Y2Kは世界的な問題であったが、2007年問題はもちろん国内だけの課題である。しかも、それは、この言葉を最初に提示した国内の情報サービス企業の事情に基づいているように見える。
日本の情報サービス産業は、経済産業省の特定サービス産業実態調査(2003年度)によると14兆円強の規模で、その就業者数は56万7467人だという。統計調査をこれに重ね合わせれば、その半数弱がCOBOLプログラマーということになる。かつては「プログラマー30歳定年説」が叫ばれた厳しい情報サービス業界だから、実態はそれとは若干異なるかもしれないが、それでもこのCOBOLプログラマーの処遇は今後問題になってくる。
それが自社の事業基盤を揺るがしかねないと危惧したのが2007年問題提起の発端ではないのか。つまり、2007年問題を提起した側は、ベテランSEが大挙して退社することで、日本の基幹業務システムが危機的状況を迎えることを恐れたのではなく、システム基盤が変わりつつあることに対応できない情報サービス企業の弱さを、2007年問題という言葉に置き換えたと考えた方がいい。
1990年代はじめ、バブル経済が崩壊して情報化投資が突然停止した。そのとき、その情報サービス企業は社員の派遣先がなくなり、契約金ゼロでも自社の社員をかつての派遣先に置いてもらえないかと頼んだことがある。
それ以前、COBOLプログラマーの契約料は月額60〜70万円程度だったが、バブル崩壊で20万円、10万円と次第に減少し、最後はタダになった。それでも、自社にSEの机さえ置かない情報サービス企業は、自社に居られるよりはましだと契約金ゼロで各企業に派遣した。
その一方で、1980年代のバブル絶頂期は、2月、3月の年度末になると当時人気絶頂のCプログラマーは月収300万円で募集されたこともある。情報サービス企業にとって、プログラマーの値段は経済情勢によって乱高下する株価のようなものなのである。そうした中で、情報サービス企業の経営者は、現在のCからJavaへの急速な流れを2007年問題という言葉で表現したのだろう。
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