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「98互換機」と黒船来襲――エプソンとNECの奇妙な関係温故知新コラム(2/2 ページ)

世の中に登場して半世紀しか経たないコンピュータにも、歴史が動いた「瞬間」はいくつも挙げることができる。ここに紹介する「ビジュアル」もまさしくそのひとコマ――。

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エプソンを「黙認」し、IBM互換機に対応

 下の写真は和解の内容を説明する当時のNEC首脳陣の記者会見のひとコマである。この和解によって仮処分の対象となっていたPC-286初期モデルが市場に出ることはなくなったが、エプソンはすでに4月に入って仮処分の対象になっていた機能部分を新しく取り換えた後続モデルを投入しており、市場では両社の激しいバトルが繰り広げられていた。つまり、係争の対象はあくまで初期モデルであり、それも8月の段階で東京地裁から和解勧告が出ていたこともあって、8カ月余りでの速やかな和解となったのである。


1987年11月30日、エプソンとの和解を発表するNECの水野幸男常務取締役(当時、写真左)と渡辺和也支配人(同、写真右)

 結局、和解という形で決着したことで、この係争で最大の論点だった知的所有権の侵害の有無については触れられることなく、和解の内容にある“尊重”という言葉で両社のコンセンサスがとられたようだ。

 以上が98互換機を巡る両社の係争の経緯だが、和解の後、NECは「エプソン製品の互換機能については継続して調査し、知的所有権侵害の疑いがあれば法的措置をとる姿勢は変わっていない」としながらも、実際にはそうした措置をとることなく、持ち前の製品開発・販売力でエプソンの勢いを抑えようという戦略を展開した。これは見方を変えれば、NECがエプソンの98互換機ビジネスを黙認し「生かした」とも受け取れる。

 なぜなら、その背景には当時すでに欧米市場ではIBM互換機が主流になっており、そのうねりが日本市場にも上陸する兆しが見えていたからだ。その大きなうねりに対抗するためには、エプソンも取り込んだうえの「98陣営」を形成したほうが得策、との考えがあったとも推測される。

 実際にその後、日本のパソコン市場は92年の「コンパックショック」を皮切りに、IBM互換機が黒船さながらに本格的に上陸、まさしく戦国時代へと突入した。90年代半ばまで5割以上のシェアを誇っていたNECも厳しい戦いを強いられる格好となっている。一方のエプソンはすでに98互換機から撤退したものの、プリンタにリソースを集中して確固たる存在感を示している。

 今となっては、98互換機を巡る両社のバトルも歴史の1 ページにすぎないが、日本のパソコン市場を大きく活性化させた「必然」の出来事だったのではなかろうか。(肩書きはすべて当時のもの)

このコンテンツは、月刊サーバセレクト2005年7月号の記事を再編集したものです。


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