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高専プロコンの「団長」が魅せたアルゴリズムと涙高専プロコンリポート(1/3 ページ)

10月に岡山県津山市で開催された「高専プロコン」。本大会に参加した方なら誰でも記憶に残っているほど強烈なインパクトを与えていた俺様系フレグランスの危険なにおいが漂う女性――「団長」こと茨城高専の湯浅優香さん――が明かす激闘の裏側と涙の訳。

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 突然ですが、皆さんは高等専門学校、いわゆる高専にどういったイメージをお持ちでしょうか? 一昔前ですと、よく言えば理系の知的な、悪く言えばマニアな男性が多く集まる学校、そんな感じに見られがちだった高専ですが、今の高専はまったく違います。学校全体で女子生徒の方が多い高専もあるそうで、「女性で高専」は珍しくない時代といっても過言ではないでしょう。

 全国に64校ある高専ですが、団長のわたしは現在、茨城県ひたちなか市にある「茨城工業高等専門学校」(茨城高専)に通っています。「プログラマーになりたい」――そんな思いを中学生のころから持っていたわたしは、「来ないと死刑だから!」という謎のフォースに導かれ、茨城高専に入ったわけですが、高専に入学したわたしを待っていたのは、1年間の半分は休日というすばらしいカリキュラムと、「興味があるからこそ、好きだからこそ、やりたいことがあるからこそ高専で勉強したい!」という熱いハートを持った1000人余りの学生たちでした。残念ながら宇宙人や未来人や超能力者は今も見つけられていませんが、それに近い人たちはたくさん存在しており退屈しません。

 そんな彼らと、自由な時間に勉強するのもよし、部活動などで汗を流すのもよし、人には言えない趣味に没頭するのもよし。高専は、個性派たちの「面白そうだからやってみよう」という衝動を自由に表現できる環境の整った本当に自由で楽しい学校です。

茨城高専
我がいとしき茨城高専

プロコンに出場するということ

 さて、わたしが今大会の競技部門に参加した経緯を簡単に。今回の高専プロコンで茨城高専から競技部門に参加したのは、「World Wide Web同好会」に所属するわたしを含めた3名です。

 入学当初からこの同好会に所属していたわたしたちですが、入学当時は4年生しか所属しておらず、彼らも次の年には卒業研究やら受験やら就職活動やらで引退してしまい、わたしは2年生にして同好会の会長(会長≒団長)となりました。わたしが自らを団長と呼ぶのはこのあたりに由来します。わたしが団長なので、当然ほかの人間は「団員」です。

 団長となったわたしは、「世界がわたしを中心に回る」ための第一歩として、同好会から部活動に昇格させてやろうという漠然とした目標を持っていました。昇格のためには何か活動し、一定の成果などを出すことが必要なため、各自でWebページのデザインコンテストに応募したりするなどしていました。


SOS団、もといWorld Wide Web同好会で活動する団員たち

 そして3年生のとき、高専プロコンが茨城高専で開催されることを知り、参加しようと思ったのですが、ちょうど「茨香祭」(茨城高専の文化祭)と重なっており、その準備などで全団員のモチベーションが上がらず、企画倒れしてしまいました。このとき、団長はスタッフとして高専プロコンに参加していたのですが、会場の雰囲気を味わい、「来年こそは絶対に参加しよう」と決意しました。

 2007年の春、「今年こそは!」ということで競技部門にエントリーしました。競技、自由、課題と3部門ある中で競技部門にエントリーした理由は、自由部門と課題部門には本戦に出場するための予選が存在するのに対し、競技部門にはそれがないから、という単純な理由だったりします。

 しかし、校内予選の存在についてはすっかり失念していました。5年生の学生を相手に校内予選を競う羽目になった団長率いる団員たちでしたが、運良く校内予選を通過してしまいました。「えッ! 勝っちゃったの?」と上級生に勝つことをまったく予想していなかったわたしたちの指導教員は控えめにいってもひどいです。

 全国大会に出ることが決定した後のわたしたちが最初に取り組んだのは、それまでのコンソールアプリケーションをグラフィカルなものへと書き換えることでした。本来、まったく必要ないものなのですが、コンソールアプリケーションのままだと、全国の高専生などには「あ、こいつらコンソールアプリケーションで参加してきやがった。イケてねぇ〜(笑)」と嘲笑の的にされ、「本戦に参加しているレベルのチームが、こんな恥ずかしい姿をさらすとは、大会に泥を塗られた」と大会事務局に思われるのではないかという被害者意識を勝手に持ってしまったことがその背景にあります。

 結果、集中講義やインターンシップなどで意外に多忙な夏休みのうち、自由な時間もほとんど返上してプログラムを書き上げました。グラフィカルなプログラムを書くためには避けては通れないMicrosoft Foundation Classes(MFC)アプリケーションについては、学校でも習わなかったため、手探りで書き上げていくこととなり、非常に苦労しました。

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