六本木系女子大生になれずアキバでUPSを担ぐ:有馬あきこのはじめましてインターネット(2/2 ページ)
女子高生時代は新宿南口のタイステ(TAITOSTATION)で「ゆうゆのクイズでGo!Go!」をひたすらプレイ。花の女子大生ライフに突入かと思いきや、アキバのぷらっとホームで買ったUPSを担ぐハメに……。
サーバが落ちてもゆるかった
1996から97年にかけてのエッヂでは、自社に専用線をひいていました。もちろん今でいうIDCも登場し始めていましたが、まだまだ目が飛び出るようなお値段でした。なのでエッヂは自社でサーバを持ち、タグホースのようなゲームも含め、社内でホスティングしていたのです。
そんなある夏の日、エッヂが入居していたビル(当時六本木にありました)1Fのコンビニでお弁当を物色していたところ、ビルの配電トラブルで突然に停電。急いで会社に戻り、サーバの復旧作業にかかりました。そして「今すぐ無停電電源買ってこい! 2つ!」と命令され、ハタチそこそこのわたしは秋葉に旅立ったのでした。
ていうかUPSも入れずにサーバを運用していたワケですね(DATで定期的にバックアップはしていた気がするけど)。
ちなみに向かった店はぷらっとホーム。でもUPSの在庫が1つしかありませんでした……。わたしの「すみません、どこ行ったら手に入るでしょう?売ってそうなお店、教えてください」などという、ぶしつけなお願いも快く聞いてくれた当時の店員さんの顔と名前は、今でも覚えています。そしてその日は、1台15kgの重さがあるUPSを2台抱え、六本木まで戻るハメになりました。
サーバ落ちといえば、当時お知り合いの会社が「こち亀.com」をオープンさせました(本家のジャンプに先駆けてのこと)。案の定、オープン当日はアクセスが集中し、サーバがダウン。そこで、
「満員御礼」
と表示するだけに切り替えたところ、こち亀の作品性も相まって大ウケし、許されたなんてエピソードもあります。つい最近のコトのような気がするけど、今やサーバが30分も落ちようものなら補償金がドカーンっていう時代になっちゃいましたね……
あの頃は、ゆるかったなー(まだ続く)。
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