第17回 キャズム:まつもとゆきひろのハッカーズライフ(2/2 ページ)
マーケティングから誕生した概念であるキャズムは、オープンソースソフトウェアとは関係ないと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。今回はオープンソースのキャズム論について考えてみたいと思います。
オープンソースとキャズム
オープンソースソフトウェアの多くはボランティアによって開発されており、採算を気にする必要はありません。好きだから、楽しいから、という理由で開発に参加している有志には、採算やマーケットへのアピールなどあまり関係なさそうです。というか、本質的に無償であるオープンソースソフトウェアにマーケットって存在するんでしょうか。別にユーザーが少ないからといって、直ちに「不採算だから開発をやめる」ということにはならないわけですし。
となると、マーケティングから誕生した概念であるキャズムは、オープンソースソフトウェアとは関係ないという結論になるのでしょうか? そんなことはありません。前回も触れましたが、オープンソースソフトウェアにもある種のマーケティングが必要です。それは以下の理由によります。
- 知名度の価値
- コミュニティーの持続性
誰も知らないオープンソースソフトウェアは、開発者が1人、あるいは少数で細々と開発することになります。このようなソフトウェアは持続性という観点から脆弱です。「孤独な開発」は開発者のモチベーションを下げがちですし、不採算による開発の中止こそ存在しなくても、開発者が何らかの事情(卒業・就職、転職、家庭の事情、やる気がなくなった、など)で開発を続けられなくなると、そのプロジェクトは停止してしまいます。そして、停止したプロジェクトはほとんどの場合、再び顧みられることはなく、死に絶えてしまいます。
逆に知名度があると、そのソフトウェアの周辺にはユーザーや開発者による「コミュニティー」が発生しやすくなります。実際にはコミュニティーができたからといって、すぐに開発協力者がどんどん出てくるわけではないのですが、たとえ開発に参加する人がそれほどいなくても、知名度とそれによるコミュニティーは大きな助けになります。ビジネスほどの大規模なマーケティングは不要としても、オープンソースにも知名度を高める必要があり、それは一種のマーケティングと呼んでも差し支えない活動です。そして、マーケティング活動には必ずキャズムがつきまとうのです。
例えば、新しくオープンソースのDBMSが登場したとして、それが実際に広く使われるようになるまでに、高い壁があることは容易に想像できます。実績がないから使われず、使われないからなかなか実績が蓄積しない、というのは典型的なキャズムの構図です。
オープンソースキャズムの深さ
さて、ここまでの観察をまとめると、
- オープンソースにもマーケティングが必要
- オープンソースにもキャズムがある
ことが分かります。人心に影響を与えるマーケティングに疎いわたしには残念な結論です。しかし、オープンソースのキャズム論には、通常のマーケットと違う要素が付け加わります。
まず、アーリーアダプター層の大きさです。現時点では、オープンソースという概念そのものが、アーリーアダプターか、せいぜいアーリーマジョリティ層の手を出すレベルです。ようやくレイトマジョリティ層もオープンソースに気がついてきたくらいでしょうか。その結果、オープンソースに深くかかわっている人たちは、新しモノ好きの傾向が強いだろうといえるでしょう。
次は、オープンソースの導入コストの低さです。オープンソースソフトウェアが無償といっても、新しいものを試すにはそれなりにコストが必要です。特に学習コストはバカになりません。しかし、商用ソフトウェアと比較すればコストは低いので、冒険しやすいことはいえるでしょう。
最後に、開発を持続させるために必要な「顧客」が少なくて済む点があります。商品を販売することでコストを回収することを目指す「商品」とは異なり、オープンソースソフトウェアは開発持続に必要なモチベーションなどを維持することだけが必要です。これは、ビジネスを維持することに比べると圧倒的に少ない顧客数で達成できそうです。
結果として、オープンソースキャズムは思ったよりも深くないということです。
オープンソースキャズムの克服
では、どうすればよいのかといえば、やはりムーア氏の提唱した戦略を実践することでしょう。セグメントを限定して、そこでのシェアを高めることです。例えば、汎用言語であるRubyが、Ruby on RailsによってWebアプリケーションという分野で注目されたことは(わたしの意図したとおりというわけではありませんが)よい例です。また、「お試しコスト」を下げるため、既存のライバルとの互換性を高めて、移行しやすくするのも有効でしょう。
キャズムを意識した戦略により、より多くのオープンソースソフトウェアが「生き残る」ようになればと祈っています。
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