リチャード・ストールマン氏、GNUプロジェクトの25年を振り返る:Focus on People(2/2 ページ)
GNUプロジェクトの発足から25年が経過した。四半世紀という年月ではあるが、この間、フリーソフトウェア運動は哲学的・政治的な意見や戦略を大きくは変えず、むしろ研ぎ澄ました。ストールマン氏の瞳には何が映し出されているのだろうか。本人のインタビューを交えてお届けしよう。
新しい課題
ストールマン氏は未来の予測は断ったが、新しい課題が今後も現れると思うとは述べた。「Microsoftはまだ相当にリッチでパワフルだ。金の力で新しい障害物を作ることもやめてない。それと同時に、フリーではないソフトウェアの新しい問題がWebアプリケーションで起きている。ブラウザを通じてインストールされるプロプライエタリのソフトウェアの問題と、Webサーバ自体の問題、この2つがある」
また、モバイルデバイスにも憂慮がある。「新しいテクノロジーには新しい問題が現れるというが、その面白い実例だね。10年前に携帯電話を見たときは、ソフトウェアがフリーなのかプロプライエタリなのかという問題はなかった。ソフトウェアを携帯電話にインストールできなかったから。でも、こいつはビッグブラザーの夢だといったのを覚えている。どこへ行こうとも、居場所はやつらに筒抜けだと」
「やがて携帯電話のプログラミングが可能になってから気がついた。リモートからスイッチをオンにして会話を聞けるじゃないか。でも、この数年で携帯電話はさらにパワーアップし、ソフトウェアをインストールできるコンピュータになった。その結果、フリーソフトウェアの問題は携帯電話にも当てはまることになったんだ。で、実のところ、この問題に対処することは監視と追跡に対処することにも役立ってる。フリーソフトウェアを使えば、携帯電話はユーザーが管理できる。リモート信号の送信を禁止できるんだ。また、少なくともセキュリティを確保し、他人がリモートから携帯を動作させることも防げるだろう」
このような一連の問題は、ここ数年でフリーソフトウェア運動がますます行動主義的になり、ほかの社会活動家との共闘に傾いていることの説明になる。昨今は「単なるフリーソフトウェアの開発活動は、さほど求められない。ほかにも開発者が大勢いるからね。一方で、デジタル制約管理のような、フリーソフトウェアを根本的に禁じかねない脅威が現れてきた。プログラミングだけでデジタル制約管理には立ち向かえない」
残念ながら、ストールマン氏はこう指摘する。「人権や最大多数の最大幸福を標榜する人々は、フリーソフトウェアの支援という問題については、その存在さえ理解しない。その原因の一部は、オープンソースが存在を隠すのがうますぎることだ。米国では、企業によるソリューション以外を否定する宣伝活動が非常に強い。利益優先の発想しかなく、すべてが利益を生むためにあると信じて疑わないんだ」
事実、フリーソフトウェアの25年間にかんするストールマン氏の苦言は、ユーザーの自由が最初から強く訴えられてこなかったことに集中するようだ。「1990年代にフリーソフトウェアの作成が本格化したが、そこにはフリーソフトウェアがユーザーに与えうる自由についての考慮が抜け落ちていた。そして今、この関心の欠如が原因で、僕らのコミュニティーはさまざまな意味において弱体で、傷つきやすい」
「そんな事情があって、このユーザーの自由という問題に関心を持ってもらい、強い決意で自由を擁護する大きなグループを作り上げることが、僕らにできる一番重要なことだと決断した。それはことわざに言う「釈迦(しゃか)に説法」だろうとたまに指摘されるが、実際には運動の概念を聞いたこともない人がほとんどなんだ。だから、フリーソフトウェア運動になんらかの形でかかわっているのにオープンソースの基本的な概念が分かってない人に訴えかけるのはとても有効だ」
明らかに、ストールマン氏はフリーソフトウェアが進むべき道はまだ長いと信じている。さらに、この25年間を語りながら、現実と目標にギャップはあるが、落胆はしていないとはっきり明言した。「人生の残りの部分では落胆させられることばかりだよ。米国は中国をお手本にしてるみたいだ。およそ想像できる限りのあらゆる種類の胸糞悪いことを実行に移してる。奇妙なことだが、少なくともフリーソフトウェアの領域では、僕らは進歩してる。人権に関するほかのすべての領域で事態は悪くなってるのに。この運動を始めたときは、ソフトウェアの世界を除いて人権が全般的に悪い状況になるとは思わなかったね。だから、僕らがソフトウェアの領域で進歩し、ほかの人権のフレームワークが周囲でファシズムへと崩れ落ちていくのは、実に皮肉で意外なことだよ」
Bruce Byfieldは、Linux.comに定期的に寄稿しているコンピュータジャーナリスト。
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