「SaaS終焉論」に対しSAPはどう動く? サービスモデルへの移行戦略をグローバル幹部に聞いた
AIによる業務アプリのサービスシフトに対し、SAPのグローバル幹部が戦略を明かす。レガシー課題とクラウド移行を抱える中、いかにビジネスモデルを再定義し、巨大なサービス市場を獲得するのか。
「SaaSは死んだ」という議論が飛び交うほど、AIエージェントの進化は、従来の業務アプリケーションの在り方を根本から揺さぶっている。業務プロセスは、人が画面を通じて操作するソフトウェアではなく、AIエージェントが自律的に動き、「成果」として結果だけを提供するサービスへと変化しようとしている。
この転換期、基幹システム市場をけん引してきたSAPは課題に直面している。築き上げた顧客資産を持つ一方で、存在するレガシーの課題に対処し、全顧客のクラウドへの移行を進めること。さらに、AIによる根本的な業務の変革に対応することだ。
SAPのエクステンデッド・ボード メンバーであり、クラウド収益およびグローバル カスタマーサクセス部門を共同統括するヤン・ギルク氏に、「SaaS終焉論」に対するSAPのスタンス、ビジネスモデルの転換戦略を聞いた。
SAPはAI時代のERPをどう再定義する
――2025年は、「SAP Business Suite」「SAP Business Data Cloud」など大型発表が続いた。これらの背景にある狙いや考えとは。
ギルク氏: SAPはエンド・ツー・エンドのビジネスプロセスを大規模にサポートしている。製品ポートフォリオをクラウドに移行する中で、過去数年、買収したサービス(「SuccessFactors」「Ariba」「Concur」など)を含むクラウドサービス全体の統合に投資してきた。
その結果、ユーザー体験、データレイヤーとそのセマンティクス、プロセス統合の統一が進み、SAPのアプリケーションはスイートとして深く連携するようになった。これがモジュール型のクラウドスイートであるSAP Business Suiteだ。オンプレミスのモノリシックなシステムから、深く統合されたモジュール型クラウドスイートへと進化し、効率的なエンド・ツー・エンドのビジネスプロセスをサポートする。
次にSAP Business Data Cloudについて。これらのプロセスからは、世界で最も価値の高いデータ(オペレーショナルデータ)が大量に生成される。
顧客がクラウドに移行することで、匿名化、集約されたデータが集まり、このデータからベストプラクティスを定義し、企業の生産性向上を支援できる。これが次世代のインテリジェントなアプリケーションの基盤となるのが「SAP Business Data Cloud」だ。
SAP Business Data Cloudは、SAP Business Suiteとインテリジェントなアプリケーションの間にあるファブリック(基盤)のようなものだ。
――AIは良くも悪くもSAPに大きな影響を与えると予想される。AI時代のSAPをどのように描いているか。
ギルク氏: まず、ERPが該当するSystem of Recordのレイヤーは、これから先も常に企業に必要されるだろう。企業はビジネスのトランザクションを保存する場所が必要で、それを法に準拠した形で実施し、貸借対照表を生成しなければならず、監査目的でも必要だ。
大きく変わるのは、その上に構築されるイノベーションだ。それはAIによって推進され、特に話題のAIエージェントが中心になる。
私の考えではアプリケーションではなく、サービスの提供へとシフトする。Concurを例にとると、旅費精算ソリューションとしてConcurを購入する必要は必ずしもなくなる。代わりに、経費報告書サービスまたは経費エージェントを購入することになる。このエージェントが経費報告書を作成し、顧客は作成された経費報告書に対して支払うことになる。
これは、ビジネスモデルを変え、市場参入方法を変え、顧客が実際に購入するものを変える。その下ではこれまでと同様にConcurが動いているが、もはやエンドユーザーはConcurにログインして経費報告書を入力する必要はない。基本的にデジタルアシスタントである「Joule」を通じてエージェントを呼び出し、「経費報告書を作成してください」と依頼することになる。顧客は、アウトカムである経費報告書ごとに支払うかもしれない。
――アウトカムに対して対価を支払うというビジネスモデルに移行するということか。
ギルク氏: 業界全体で今後、エージェントと成果を結び付けてどのように価格設定するのかの議論が進むと見ている。これは、巨大なサービス市場へのシフトになる。サービス市場は2〜3兆ドルともいわれる巨大な規模で、われわれが追求する従来のSaaSのTAM(獲得可能な最大市場規模)に加わる形となる。
つまり、SAPにとっては従来のSystem of Record市場を維持しながら、新たに市場規模を獲得する大きな機会となる。
――Concurに限らず、将来的にSAPユーザーはJouleを使っていると認識し、SAPを使っていると意識しなくなるということになるのか。これがSAPのブランドに影響するという危惧はあるか。
それがわれわれが向かっている方向であり、そのぐらい大きな変化が起こっているといえる。
JouleはSAPのビジネススイートに全く異なるユーザー体験レイヤーを作る。最終的にエンドユーザーにとって、SAPのどのアプリケーションにアクセスしているのか、「SAP S/4HANA」(以下、S/4HANA)なのか、Concurなのか、Aribaなのかは重要ではない。エンドユーザーにはビジネスの問題やタスクがあり、それは質問形式で表現できる。Jouleを使ってその質問への答えを得たり、タスクを完了したりする方が利便性は高い。
その裏でエージェントがS/4HANAを呼び出すか、Concurを呼び出すか、Aribaを呼び出すかは、エンドユーザーにとって関係がない。従って、これはエンドユーザーが実際にどのように働き、エンタープライズソフトウェアを体験するかの性質を根本的に変えると考えている。
エンドユーザーがSAPを使っていると意識しなくなる一方で、民主化が進むと見ている。なぜなら、SAPで作業できる可能性のあるユーザーがはるかに多くなるためだ。
これまで企業はSAPを導入すると、SAPを使いこなすためのトレーニングをしてきたが、Jouleではその必要がなくなる。多くのカジュアルユーザーが、その背後にある複雑さについての多くの知識やトレーニングを持つことなく使用できるようになる。
レガシー資産を抱えた日本顧客とのギャップをどう見る
――日本ではまだS/4HANAへのマイグレーションを進めている段階の企業が多数存在する。顧客の現実とのギャップをどのように見ているか。
ギルク氏: マイグレーションの問題は世界レベルでも同じだが、ここ数年の変化として、市場の速度は加速している。
われわれは長い時間をかけて、顧客のクラウドへの移行を推し進めてきた。なぜなら、AIなどの最新の機能やサービスとしての提供できるのはクラウドであり、顧客はクラウドを利用することで最新の状態を保てるためだ。
SAPは創業50年以上の企業で、過去には顧客が古いリリースにとどまり、実際にアップグレードできず、前進できないことが頻繁にあった。その状態と認識は変化している。そして、われわれの方向性やビジョンに賛同し、一緒に進めてメリットを享受したいと思う顧客は増えている。
それでも、SAPとの付き合いが長いほど、多くのレガシーを抱え、移行は大きな作業になる。そこでわれわれは2つのことを実施してきた。
1つ目は、ツールへの大型投資だ。SAPは業務ソフトウェアでAIを活用するだけでなく、マイグレーションのためのツールでも、AIを活用することで効率化や高速化を進める。カスタムコードの修正も含まれる。
2つ目は、顧客への商業的なインセンティブの提供だ。SAPは顧客と構築した長期的な関係を大切にしている。顧客がクラウドに移行することはSAPにも価値があることなので、SAPも顧客の移行に寄り添う。
これらの取り組みは顧客からの高評価を得ており、移行の加速につながっていると考えている。
――クラウド収益の推進とビジネススイートの統括責任者という立場から、日本市場をどのように見ているか。
ギルク氏: 日本市場はSAPにとって素晴らしい市場だ。これまでもそうで、今後も変わらない。SAPと信頼関係を構築し、長くわれわれの技術を使っている顧客がたくさん存在している。私個人も頻繁に日本を訪問し、顧客のビジネスや市場をどのように支援できるのか、どのようなイノベーションをSAPが進めているのかを話す機会を持っている。
ここ数年でパブリッククラウドに対する意識も大きく変わった。ERPの土台としてのパブリッククラウドにオープンな姿勢に変わっており、今後SAPが支援できることはもっと増えるだろう。既存顧客のマイグレーションの支援を続けるが、新規顧客など新しい成長の可能性を感じている。
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