「AI前提」の国家戦略と「思考停止」の現場 大半の企業で“何も起きない”未来を予見:久松剛のIT業界裏側レポート
政府が「AI基本計画」を閣議決定し、AI前提の社会設計を進める一方、日本企業のDX成熟度は5年連続で停滞しています。この断絶の正体はどこにあるのでしょうか。30年に及ぶ“節約志向”が創意工夫を奪ってきた構造的課題を整理し、なぜ多くの企業でAI活用が入り口で止まってしまうのかを読み解きます。
この連載について
DX推進、生成AI技術の進化が加速する今、企業のIT部門は戦略的な役割への変化が求められ、キャリアの転換点に立たされています。この現状を変え、真に企業価値を高める部門となるには新たな戦略が必要です。
本連載では、博士としてインターネット技術を研究し、情シス部長、SRE、エンジニアマネジャーとしてIT組織の最前線を知る久松剛氏が、ニュースの裏事情や真の意図を分析します。一見関係ないニュースもIT部門目線の切り口で深掘りし、IT部門の地位向上とキャリア形成に直結する具体策を提示します。
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政府は2025年12月、「AI基本計画」を閣議決定し、AIを国家の成長戦略の中核に位置付けました。医療や介護、金融、行政などの人手不足分野を支える基盤技術としてAIを捉え、研究開発や社会実装、信頼性確保、人材育成を一体で進める方針が示されています。
一方、同時期に公表されたPwCコンサルティングの「DX意識調査(ITモダナイゼーション編)」は、日本企業のDX成熟度がこの5年間ほぼ停滞しており、生成AIの普及がDX成果や人材育成につながっていない現実を浮き彫りにしました。
国家はAIが使われる前提で未来を設計し始めています。しかし、企業でAIは本当に使われているのでしょうか。
本稿では、政府の「AI前提」の国家戦略と、PwCの調査が示す「停滞」の現実、そして私自身が複数の企業を見てきた現場感を重ね合わせます。一部の先進企業を除き、なぜ多くの現場でAI活用が入り口で止まってしまうのか。その背景にある構造的な課題を整理し、AI導入が本格的な進展を見せない未来が続くリスクを読み解きます。
政府AI基本計画が描く「前提としてのAI」
政府のAI基本計画の特徴は、AIを単なる効率化ツールではなく、社会や産業の前提条件として位置付けている点にあります。高品質なデータや通信基盤、日本が強みを持つ産業ロボットなどを生かし、「信頼できるAI」で海外展開を巻き返すという構図です。安全性評価や偽情報対策、サイバー攻撃対応、著作権や個人情報への配慮など、リスク管理も含めた総合戦略となっています。
ここで重要なのは、計画全体が「AIは導入されるもの」「活用されるもの」という前提で設計されている点です。行政では政府専用AIの配布や自治体業務への導入支援まで踏み込んでおり、国家としてはAI導入の是非を議論する段階をすでに過ぎています。
PwC調査が示す、日本企業のDXは「停滞」しているという事実
一方、PwCのDX意識調査は厳しい現実を示しています。生成AIやクラウドの導入率は急速に高まっているものの、DX成熟度の「先進企業」は5年連続で約8%にとどまり、全体としては停滞、あるいは後退していると分析されています。DX成果を「期待通り以上」と評価する企業は、先進企業では9割を超える一方、それ以外では2割前後にとどまっています。
また、人材育成についても、DX推進がうまくいっている企業ほど成果が出ており、そうでない企業では人材が育っていないという相関が明確です。つまり、AIやクラウドを導入したかどうかではなく、「使いこなす組織になれているかどうか」が決定的な差を生んでいます。
AIによる業務効率化は過渡期にすら届いていない 筆者が見た実態
生成AIが流行しているように見える一方で、実際の現場を広く見渡すと、業務効率化はまだ過渡期に入ったばかり、もしくは模索以前で止まっているのが大半です。確かに、一部のメガベンチャーやスタートアップではAIドリブンな開発が進み、設計や開発、テスト、リリースのサイクルを極端に短縮している例もあります。あまりに高速化が進み、週2日稼働の外部人材が置いていかれ、内製化が進む企業すら出てきています。
しかし、こうした事例は例外です。多くの企業では「模索していればよい方」であり、実態としては生成AIをどこで使えばよいのか分からないまま止まっています。PwC調査が示す通り、生成AIの導入率が上がっても、DX成果や人材育成につながっていないのが現実です。
ここで現状を正確に捉え直す必要があります。現状でAIは広く業務効率化を提供する存在にはなっていません。むしろ、優秀な人材がさらにアウトプットの質と速度を高めるためのツールにとどまっています。R&Dや、優秀な人材が集まったソフトウェア開発の現場では確かに恩恵を受けていますが、大半の現場では「特に何も起きていない」というのが実情です。
「プロンプト集」が象徴する思考停止の入口
生成AIブームの中で、幾つかの企業で見られるのが「プロンプト集」の整備と共有です。本屋に並ぶ生成AI関連書籍の多くも、実質的にはプロンプト集と言える内容です。一定の型を用意すること自体は一つの手法として理解できます。
しかし、プロンプト集は思考の補助ではなく、思考停止のトリガーになりやすい側面があります。実際、数カ月前に人材系企業から「スカウトや書類選考に使えるプロンプト集を作ってほしい」という依頼を受けたことがありますが、私はそれを断りました。理由は単純で、思考しない人が増えると考えたからです。
そして皮肉なことに、現場の多くでは、そのプロンプト集すら使われていません。幾つかの企業で導入された「社内プロンプト集」は、閲覧されずに放置される傾向にあります。問題はプロンプトの質ではなく、業務フローの中に生成AIを介在させる発想そのものが存在しない点にあります。
現場に必要なのは「給餌」に近い業務フロー変更
現場は「業務効率化によって楽になるからAIを使おう」という掛け声では動きません。仮説として、業務フローの中で「この工程では、この画面を開き、このプロンプトを使う」といったレベルまで落とし込まなければ、使われないと考えています。実際にそうしたトライを依頼している企業もあります。
政府がAI基本計画で旗を振り、AI活用を前提とした社会設計を進めるのであれば、企業側もそれを「導入しろ」という抽象論で終わらせてはいけません。一時のブームに終わらせないためには、より現場に寄り添い、何が起きているのかを観察し、かみ砕き、作業者の口元にまで運ぶ。まさに「給餌」とも言えるような、徹底した業務フロー変更が必要です。
なぜ日本企業で創意工夫が生まれなくなったのか
なぜ、ここまで手前で止まってしまうのか。大きな要因の一つは、仕事に対して創意工夫を求められてこなかった構造にあります。
この背景を理解するには、日本企業がどのような仕事の作り方をしてきたかを振り返る必要があります。金融バブル崩壊からの約30年は、「業務の無駄をどう省くか」という節約志向の改革が続いてきました。そこにはクリエイティビティはなく、不景気と相まって「ロボットや安価な労働者をどう使うか」という爪に火をともすような行為でした。
ここ数年はジョブ型の名の下で、業務は細かく区切られ、その対価として給与や時給が決められてきました。ジョブを越える越境は歓迎されず、むしろ「余計なこと」と見なされることも多かったのです。
加えて、人材不足は派遣やSES、フリーランスで補われ、そこには指示通りにアウトプットを出すことが求められてきました。過去のトラブルを踏まえて熟成された業務フローが正解であり、それに疑問を持つことは期待されてきませんでした。外注はもちろん、正社員も含めて、業務フローに対する創意工夫が求められない環境が長く続いてきたのです。
この構造のまま「AIを使って業務効率化せよ」と言うこと自体が、大半の働き手にとって未知であり、極めて難易度の高い要求であることは理解されるべきでしょう。
結論 国家と企業の間にある「深い溝」
政府AI基本計画は、AIが使われることを前提に社会を設計し始めました。一方でPwCの調査が示すように、日本企業の多くは、AIを業務の中にどう組み込むかという入り口で止まっています。この溝は、技術の問題ではなく、業務設計や人材育成、意思決定の在り方の問題です。
AIによる業務効率化は、全体として見れば、まだ本格的な過渡期に入ったとは言い切れません。先行する一部の企業と大半の企業との間に大きなギャップが存在しています。多くの企業にとっては、ようやく「考え方を変えなければならない」と気付き始めた段階にあります。経営層がAIを戦略として語るだけでなく、業務フローをどこまで具体的に変えられるか。そこに踏み込めるかどうかが、政府の描くAI社会と企業の現実をつなぐ分水嶺になるでしょう。
著者プロフィール:久松 剛氏(エンジニアリングマネージメント 社長)
エンジニアリングマネージメントの社長兼「流しのEM」。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学で大学教員を目指した後、ワーキングプアを経て、ネットマーケティングで情シス部長を担当し上場を経験。その後レバレジーズで開発部長やレバテックの技術顧問を担当後、LIGでフィリピン・ベトナム開発拠点EMやPjM、エンジニア採用・組織改善コンサルなどを行う。
2022年にエンジニアリングマネージメントを設立し、スタートアップやベンチャー、老舗製造業でITエンジニア採用や研修、評価給与制度作成、ブランディングといった組織改善コンサルの他、セミナーなども開催する。
Twitter : @makaibito
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