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“変化”は外からやってくる(前編)何かがおかしいIT化の進め方(39)(2/3 ページ)

BRICsの台頭から、突然の人事異動まで、あらゆるレベルで変化は起こり続けている。だが、ものごとを注意深くみていれば変化の予兆は必ず含まれているものだ。常に革新が求められるIT技術者は、世の中全体を幅広く観察し、流れを読み取ることが大切だ。

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日本に追い上げられた米国

 歴史的に見れば、経済圏が拡大したり、境界線が消滅したような事例はいくつもある。例えば20世紀前半、英国から覇権を奪った米国にとっての大きな経済的脅威は、1970〜80年代の日本であったと思う。当時、日本は貿易や資本の自由化が進むことを恐れていたが、痛手をこうむったのは米国産業の方であった。

 当時、日本の人件費は安く、労働者は勤勉そのものであった。「追いつけ追い越せ」を合言葉に寝食を忘れるほどの努力で積み上げた技術力などによって、製造業の分野では米国を凌駕する日本企業も生まれてきた。1970年代に日本企業に広く普及していった業務処理のオンライン化システムは、現場業務の形態を抜本的に変え、生産性を向上させて、日本企業の競争力を大いに高めた。

 日本製品の進出で米国企業の経営は厳しさを増した。ベトナム戦争で財政的にも社会的にも疲弊していた米国は、日本から大きなストレスを受けることになった。

 「日米繊維交渉」が両国間の大きな政治課題になった。君津や水島、和歌山、加古川などが台頭し、われわれが子供のころ「鉄鋼の街」と教えられたピッツバーグから煙突が1本1本消えていった。USスチールに次いで業界第2位であったベツレヘムスチールは1990年代初めに廃業した。高い技術と品質、知名度を誇っていた電子・電機メーカーのRCA(Radio Corporation of America)や、総合電機メーカーであったGE(General Electric)の電子・電機市場における後退が続いた。

 「GMは国家なり」とまでいわれたデトロイトの自動車産業にも陰りが生じた。従業員に従来のような好待遇を保障することが難しくなり、全米最大規模を誇った全米自動車労働組合の立場、ひいては労働者の日常生活に影を落とす引き金となった。労働者と経営者の間で長年維持されてきた、安定した関係が崩壊しはじめた。

 このような世の流れの中で、労働者の立場は弱まり、一般社員の給与が下がり、経営者の収入は大幅に高騰し始めた。一方で、「競争の激化」は「供給力の超過」でもある。結果的に需要側、つまり消費者の力が強まり、企業は顧客志向に向かわざるを得なくなった。現在のCRMの背景はこの辺りにあると思う。1人の労働者は企業構成員という“財”の立場と、消費者という“民”の立場という、利害対立の矛盾を内に抱え込むことになった。

二枚腰の米国

 ただ、人口1億3000万人の日本が、その2倍強の米国に攻め込んだ経済戦争の第1ラウンド、「産業問題という競争」では日本が優勢だったものの、1980年代に入ると「日米半導体交渉」など、経済戦争の結果として発生した国際収支、金融、経済構造などの問題が、日米間の政治・外交課題に発展した。その経済戦争第2ラウンドでは、日本の苦戦が続くことになった。

 一方で、米国は国を挙げて日本の製造業の研究に取り組んでいた。1980年代後半〜1990年代初めに続々と発表された「バーチャルカンパニー」(注)や「BPR」「フラットな組織」「リーン生産方式」といった新しい概念の背景には、日本の「系列」や「かんばん方式」「改善活動」「組織横断型の製品開発体制」などがあったといわれている。

 また、リストラを徹底的に進めていた米国企業の間では、人とともに知識・ノウハウまで流出していたことを背景に、これも実は“日本企業研究”の一端であったナレッジマネジメントなる分野が話題になった。調子のよいマスコミや識者は、「企業はCKO(Chief Knowledge Officer)を設けよ」などと騒ぎ立てたが、問題の本質は、創造力の育成にあって知識や情報の管理ではない。当然のことながらCKO論は現場では一顧だにされなかった。

 こうした中、ITベンダはグループウェアと称する商品の売り込みに走った。売り文句であった「知恵を生み出す仕組み」にはなり得なかったが、組織をフラット化したり、オペレーショナル情報を伝達・共有化するうえで、一定の効果を上げた。


 ちなみに、米国を追い込んだ当時の日本において、韓国脅威論が盛んになった時期がある。鉄鋼、造船、電子、自動車などの近代的な企業が誕生したものの、人口5000万の韓国は人件費の高騰により価格競争力を低下させ、日本や米国の全面的な経済的脅威となるまでには至らなかった。だが2000年代に入って、グローバル市場で力をつけた韓国や台湾の一部の企業は日本企業を凌駕する存在になっている。


注: ある完結した目的を達成することを前提に、複数の企業で組織する共同体のこと。1993年、米国の経営コンサルタント、ウィリアム・H・ダビドゥとマイケル・S・マローンが著した「バーチャル・コーポレーション」でその概念が紹介された。


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