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コラム

情報過多が作り出す「Level1飛空艇」症候群小寺信良(2/3 ページ)

近年の新社会人は、まだ何も経験しないうちから、情報としてはすべてを把握しているつもりになっている傾向がある。こういった現象を「Level1飛空艇症候群」と名づけ、情報過多時代における社会人としての第一歩を考えてみた。

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Level1で飛空艇に乗る

 かれこれ5〜6年、NHKスタッフの研修を通じて、新しく社会人になる人を見てきているが、どうもある点で非常に情報過多な部分があるかと思えば、あまりにも無防備に何も知らずに入ってくるようなところがあり、情報のバランスが悪さが年々拡大しているように感じている。

 例えばまだ何も経験していないうちから、この職種はこういうところがオイシくてこういうところがキツい、人事部の面接ではこういうところが評価される、営業とはこういうものだ、といった情報には異様に詳しい。これを聞いたら、オマエが営業の何を知っとんのじゃオラと、多くの現役営業マンが怒髪天を衝くことだろう。

 一時期ホリエモンが若い人の目標であり崇拝の対象であったことからも、社会というシステムをざっくり把握したものが勝ち、という価値観が生まれてきているようだ。まだ何も経験しないうちから、情報としてはすべてを把握しているつもりになっている傾向があるように思う。

 こういう現象を称して、筆者は「Level1飛空艇症候群」と名付けたい。元々この現象を定義した友人は「Level1ラーミア症候群」と名付けたが、今の旬を考えて改名した。使用される場合は、どちらでもゴロのいいほうを採用されて構わない。

 FINAL FANTASYの世界では、最初から移動の自由を厳しく制限される。そしていろんな冒険をしながら苦労して苦労して情報を集め、条件をクリアして、飛空艇を手に入れるのだ。

 飛空艇に乗れば、敵に遭遇せずにどこにでもいける。そしてどこにでも降りられる。ある意味ラスボスの待つダンジョンの入り口にも着地することができる。飛空艇を手に入れることは、その世界を席巻することに近い。

 だが今、新しく社会人になるという世代の人は、どうもLevel1の段階からすでに飛空艇に乗っているような気がする。つまりどこにでも行けて、どこにでも降りられる自由を情報として手にしていながら、どこにも降りられない。降りれば自分のレベルでは一撃でヤられることを、知識として知っているからである。

 一度も地上に降りたことはないが、世界を全部知っているというのは、ゲームをクリアしたかのような感覚になりがちだ。だがゲームは自己体感的であるもので、読み物とは違う。

 そして現実社会では働かせなければしょうがないので、無理矢理地上に降ろして戦わせてみると、武器の装備から防具の種類、バトルシステムといった具体的なことは、何一つ知らないことに驚く。

 テレビの仕事に就こうというのに、テレビは1秒間に30コマ(正確には29.97コマだが、まあいいだろう)で作られているということすら知らずにやってくる。あるいはSDとHDの違いも調べてこない。自分の住む地域が、地デジ放送エリアなのかも知らない。このぐらいはテレビのカタログにでも書いてあることであり、調べようと思えばいくらでも手段があるはずだ。

 編集のような特殊な職業には専門書などほとんどないが、一般的な職業であっても、なんにも知らずに入ってくることには変わりないようだ。誰かがそのうち教えてくれるようなことは、自分でやるタスクのうちに入っていないのかもしれない。

 そして教わってないことは、「教えて貰ってないから知らなくて当たり前である」と思っている。もっとも教えたことを100%飲み込んでいるかというと、そういうわけでもないところが厳しいところである。

 これはおそらく、事前に知るべき情報の取り違えが問題なのであろう。通常地上の現実世界に居れば、これから生きていく世界の事は前もって学習してくるべき、だと思っている。

 だが飛空艇の上から地上にやってくる人は、地上のことは地上に降りてから教えて貰えばいい、と思っている。もちろんそれは、現場の人の声が一番信用できるから、ということでもあるだろう。ではなぜそれよりもグローバルな情報は、飛空艇にいる段階で信用するのだろうか。それに対する答えは、おそらく本人らも持ち合わせていない。

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