CGV(Consumer Generated Video)の成立要因と収益モデルを考える:小寺信良(2/3 ページ)
YouTubeに代表される「CGV」(Consumer Generated Video)と呼ばれるコンシューマ発の動画コンテンツはメディアとして、また産業として成長可能なのか、考察してみた。
そういう意味では、ビデオもテープやDVDを使っている間は、なかなか家族の記録以上のものが生まれてくる可能性は低い。これらはリサイクルメディアであるが、そのまま保存メディアとして利用するために、実際にはリサイクルされにくい。つまりはそのあたりが、ディレクターがHDV撮りっぱなしみたいな感覚とは、相容れない部分である。ブレア・ウィッチ・プロジェクトのような制作スタイルを感覚的に理解するには、メディアを消耗しない記録方式、すなわちHDDやメモリといったビデオカメラの一般化を待つことになるだろう。
この感覚はもちろん、日米差も大きい。筆者の友人でもあるライターのY氏が「アメリカにはもったいないオバケはいない」という名言を残したように、アメリカの消費経済はとてつもない低コスト化を実現させる。大量に買って、消費しきれなければどんどん捨てる。そうすればコストが下がる。そういう経済論理を地で行く国である。
例えば映画の撮影においても、ハリウッドではまさに湯水のごとくフィルムを使う。これは知り合いのカメラマンに聞いた話だが、例えば「用意!」の声がかかったあとで飛行機が飛んでくれば、日本ではまずフィルムを止めて通り過ぎるのを待つ。だがハリウッドでは、監督がカットと言わない限りフィルムが回りっぱなしのままでみんな空を見上げて、飛行機が通り過ぎるのを待つ。フィルム1本ぐらい、別にどうということもないぐらいに、値段が安いのである。
安いから無駄にしていいかといえば、倫理として問題があると我々日本人は考える。この「もったいない」という感覚は、撮りっぱなしという映像制作方法とは合わない。日本ではもっと別の方法論の確立が必要になるだろう。
広告モデルの現実性
前回のコラムでは、YouTubeのような集客力のあるポータルの存在が不可欠であるという結論に至ったわけだが、もう一歩進めて収益モデルとして機能できるのかという点を考えてみたい。
インターネットとは、基本的に使用者には無償でサービスが提供されてきた。したがってコンテンツ一つ一つに対して対価を付け、各視聴者に個別に販売するという方法は、例え少額でも抵抗が大きい。ネット上でCGV(Consumer Generated Video)の対価を求めるのであれば、消費者に対して直接代金を徴収しない、広告収益モデルがふさわしいと考えられる。
しかしその広告の入れ方が問題で、コンテンツ前に強制的に見せるような方法というのは、好まれないだろう。USENの「GyaO」がこの方法でも回転できているのは、消費者がそのコンテンツを見たいという強固な意志があるからである。つまり市販コンテンツであれば事前に価値がある程度担保されているから、成立できるモデルである。
そのほかに考えられるのは、動画が表示されているブラウザ上の他のエリアに広告が表示されるような方法だろう。だがこの「土地貸し」のような広告スタイルは、次第に収益が下がってきている。それは多くの消費者が、それを無視する方法を身につけたからである。
筆者が考えるCGVの広告モデルは、動画の最終1フレームに表示する、リンク込み静止画の広告である。動画の途中で画面を閉じてしまった場合はそこまで行き着かないが、そのようなコンテンツはポータルのランキングで排除して行くという方法が採れるだろう。
もちろんこれはテレビのスポンサー広告のように、内容に関係ないものが表示されても無駄だ。内容とおもしろおかしくリンクした仕掛けが必要である。例えば気に入ったCDジャケットは無断で使用できないが、広告としてなら飾ることができる。コンテンツ制作者自身が特定の広告をチョイスし、演出に利用するといった発想の転換が求められる。
このコラムに筆者が広告を自分で付けるならば、Amazonでブレア・ウィッチ・プロジェクトのDVDを選択するかもしれない。あるいは真珠まりこ著の絵本「もったいないばあさん 」かもしれないし、「DVテープ10本パック」かもしれない。
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