そうだ、「Culture First」だ:小寺信良(3/3 ページ)
B-CASや補償金などで「文化を守る」と声高に叫ばれるが、日本流のコンテンツを作り、さまざまな手段で販売していくことこそが、本当の「Culture First」に結びつくのではないか。
補償金制度自体が経済至上主義の権化であるわけだから、経済と文化を切り離して考えるのは難しい。それならば逆に、経済的成功をしていない著作者に対して、逆数率で多くの補償金が行くようにすればいいのではないか。
また録画文化も市井で生まれた大切な民衆文化であるから、これも継承する人が居なくなっては大変だ。誰も録画しなければ、補償金を払う人が居なくなってしまう。
だから録画機器を沢山買ったり、メディアを沢山消費して録画した人ほど、文化保護の名目で補償金を受け取れるようにしたらどうか。経済的効果もあり、補償金制度も存続、文化も守ることができる。補償金制度を使って、録画文化をぜひ保護するべきだ。
そしてもっとたくさん録画補償金を得るためには、コピー10回などとケチくさいことを言わずに、コピーフリーにしてしまったほうがいい。さらに米国でのモデルのように、ワンソースマルチユースを徹底し、テレビ放送だけに依存しないコンテンツ収益の道を開くのだ。
Appleが提案したようなストリーミングによるビデオレンタルは、もともとレンタル事業が成功しやすい国であることから、日本でも大きな産業となるだろう。テレビはもはや放送の受信機ではなく、マルチソースディスプレイとなる。
ネットに限らず、ケータイでダウンロードした動画も、テレビで見られるようにしたらいい。ケータイでの再生では投影面積に限界があるが、データそのものは高解像度でも構わないはずである。ケータイキャリアも、同じコンテンツでデータの大中小をラインアップできる。間口が一気に3倍だ。
コンテンツ販売は、あらゆる通信インフラを使って可能なはずである。ウインドウが数多く開けば、消費が増え、コンテンツ単価も下げられる。単価が下がれば、さらに売れる。これまで著名コンテンツに隠れて消費されなかったマイナーコンテンツも、日の目を見るようになるだろう。これは映画レンタル事業におけるB級ホラーの成功例で、すでに実績が出ている。
元コンテンツが十分に売れれば、もはやコピーから保護しないと死んでしまうなどと言わなくても済むようになる。補償金に頼らなくても済むようになるのだ。
実際に米国ではこのモデルで回転している。この方法を採ったからといって、日本流のコンテンツが死滅するわけではない。なぜならば、流通は単なる手段にしかすぎないからであり、むしろ流通を世界の潮流と歩調を合わせることで、世界へマーケットが開けることになる。
少し前までは、日本のコンテンツは国内消費向けに作られているため、海外ではそのまま通用しないという見方が主流であった。しかしオタク文化が輸出され、実際にネットで海外の垣根が取り払われてみると、別に設定や登場人物を現地事情に合わせなくても、字幕さえ付いていればそのままでウケるということを、「涼宮ハルヒの憂鬱」とファンサブが証明した。原語で理解したいがために、アニメから日本語を学ぶ人も現われるぐらいだ。
これが真の「Culture First」である。流通や外圧に媚びず、日本流のコンテンツを作り、あらゆる手段を使って自信を持って売っていくこと。目先の1000円より5年後の1000万円。そういう体質にコンテンツ業界が変わることこそが、今望まれているのである。
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