パナソニック100周年記念! 「松下幸之助 歴史館」に行ってきた(2/5 ページ)
パナソニックは、2018年に創業100周年を迎える。いち家電メーカーという枠を超え、グローバル企業にまで大きくなったパナソニックだが、最初は小さな会社だった。その歴史を見に大阪府門真市を訪ねた。
当時、贅沢品であり、富裕層しか手にできないアイテムだったアイロン。そんな状況に「品質が良くて、誰でも手軽に使える価格の安い電熱器」の開発を決意した松下幸之助。独自の機構を開発するとともに、生産方式でもフォードの大量生産方式で量産。市場価格の3割以上も安くして大ヒットする。昭和5年には商工省から国産優良品に指定された。
高性能サーモスタットと温度ヒューズを組み込んだ2重安全設計の丸山型電気コタツ。木製のカバーを丸くすることでこたつ布団が引っかからず、足を置いても痛くないなど、ユーザーの使い勝手を考えた形状。現在でいうユニバーサルデザインだ。
パナソニックのラジオ第1号。ラジオは故障するのが常識だった当時、「故障が起こらないラジオ」を目標にたった3カ月で開発した。
当時品質がまだまだ低かった電球だったが、高品質の国産電球を世に出すべく、電球事業にも進出。価格は高めだったものの、販売店の協力もあったことで軌道に乗り、電球事業の礎を築いた製品。左が「シスター電球」40W/40W(40銭)、右が「標準型電球」60W(36銭)。
同社扇風機の1号機。当時の価格で25円。
1938年の時点で「試作テレビ第1号」を開発。1940年(昭和15年)に日本の東京府東京市(現・東京都区部)で開催される予定だった東京オリンピックだったが、支那事変等の影響から同年7月にその実施が中止。その後、第二次世界大戦へと突き進むことになり開発は中止されたものの、実は戦後の同社テレビ開発を加速させた立役者的試作品であった。
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