News:アンカーデスク 2003年12月1日 09:45 PM 更新

役所が「SOHO」という生き方を理解する日は来るか?

とある市が起業支援施設を作った。“ハコ”の出来はなかなかいい。担当者も熱心だ。だが、何かがすれ違っている。どこにすれ違いがあるのか、今回はそれを考えてみた。
顔

 ところで皆さんは、市役所のような役所にはよく行かれるだろうか。仕事柄、建築関係の人は証明書や提出書類などの関係でなじみ深いところらしいのだが、普通の人にはとんと関係のない場所である。せいぜいなんかの証明で住民票を取りに行くぐらいか。

 役所とは、こちらが用がないのであれば、基本的に向こうもこちらに用はない。しかしそういう関係が少しずつ修正され始めようとしている。

 先週の11月27日、埼玉県戸田市に初の起業支援施設「オレンジキューブ」が落成した。筆者は去年の夏ごろから、この施設の開設に関する懇話会のメンバーとなり、いろいろなアイデアを提供してきた。そんな関係で、この落成式に呼ばれたというわけである。


戸田市の起業支援施設「オレンジキューブ」

 世の中にはいろんな職業があるが、映像系や出版系のクリエイターには、個人事業者、いわゆる“SOHO者”が多い。IT系でも大きな会社に転職するだけが出世ではないわけで、ゆくゆくは独立を考えている人もいることだろう。今回は、そんな人に関係するかもしれない話だ。

起業支援施設とは何か

 まず、この起業支援施設とはいかなるものであるかを説明しよう。平たく言えば、貸事務所の集合体である。だが入所者はこれからなんらかの事業を起こしていく人が対象となる。このような施設は探してみると世の中には結構あって、企業が運営するものや、自治体が運営するものがある。戸田市にオープンする「オレンジキューブ」は、市の経済振興課が運用する、自治体型のものである。

 課の名前からもわかるように、この施設は地元の経済振興が目的である。最終的には、個人ベースの事業から会社を興すまでの助走期間をここで過ごす、言わば「滑走路」のような役割といえば分かりやすいだろう。家賃は通常のマンション事務所などを借りるよりも格段に安く押さえられ、事業に必要なインフラも用意されている。

 これがもし企業経営のものであれば、この建物そのものの採算を、家賃収入から求めることになる。そうなると普通にマンションに部屋を借りるぐらいの値段になってしまうのだが、自治体が作る施設は、着地点をもっと遠くに設定している。

 結果的にこういう施設がどういう結果を生んで欲しいかといえば、ここで産業を興して地元で会社を作りなさい、それで事業税ならびに住民税をいっぱい払ってくれるようになればOK、ということなんである。

 「オレンジキューブ」は、2階建てプレハブ建築の建物だ。見た目はいかにもプレハブだが、内装は結構いい。内部は小割の部屋がたくさん用意され、広さによって賃料が変わる。この一室を事業所として登記して電話でも引けば、とりあえず小さくても会社としての体裁が整うわけである。会議室やロビーもあり、打ち合わせや会議で使えるようになっている。


ロビーではちょっとした打ち合わせも可能


支援室の一室。広さは約6.5平方メートルから18平方メートルまで各種

 とりあえず、と書いたのは、多くの支援施設がそうであるように、ここには限られた年数しか居られない。「オレンジキューブ」の場合は3年である。滑走路の長さとしてだいたい3年、それで芽が出れば胸を張って出て行くことができるし、芽が出なければ肩を落として出て行くことになる。まあ期間としてはいいところだろう。

自治体施設の問題点

 このような自治体の施設は、うまく利用すればかなり経費を節減できる。入所者もさぞ殺到すると思いきや、17部屋のうち、今決まっているのは6部屋のみという。

 何か問題が、と思われただろうか。ここでは例として戸田市をとりあげるが、悪意はない。筆者の知っている職員は、みんな一生懸命にこのプロジェクトのために努力している。だが民間レベルのプロジェクトと比較すると、あまりにも世の中とズレている点は指摘しておかざるを得ない。おそらく基本的にはどこの自治体も似たり寄ったりであろう。

 そう、こういった自治体運営施設最大の欠点は、PRに対する認識不足だ。筆者はいつこれの入居募集が始まったのか、全然知らなかった。例の懇話会に出席したときに、担当部長の「えーすでに公募も始まっておりましてぇ」なーんてあいさつで、初めて知った次第である。

 確認していないが、おそらく市が配っている広報誌のどこかに載っていたのであろう。筆者もこのことがあるので割と気を付けていたつもりだが、まったく気が付かなかった。市としては、広報誌は各世帯あまねく配布しているので、このニュースも全市民に対して完璧に周知されているということになっている。あなた、自治体からの広報誌に隅々まで目を通してますか?

 市のWebサイトからも入所申し込み用紙がPDFでダウンロードできる。しかしそれはあくまでも実務的な便宜であって、PRとはまったく別物だ。ちなみに「ダウンロード数はどのぐらいですか?」と訪ねたら、職員一同狐につままれたような顔をしていた。

 少なくとも民間では、プロジェクトが完成して人を集めるのであれば、それなりのPR活動を行なうのが普通なわけだが、そういう発想を自治体に求めるのは、非常に難しい。お役所というのは「広告」に対して、特別な抵抗があるのだ。市民に良かれと思って作った施設を利用してもらうべく活動するのに、なんの躊躇(ちゅうちょ)もいらないと思うのだが、いろいろと軋轢(あつれき)があるものらしい。

SOHOのまま、という生き方

 もともとこの施設、名称には「SOHO」という文字も入るはずであった。だが最終的に外され、起業中心の施設に土壇場でシフトしたところに、役所ならではの思惑を感じさせる。つまり根本的な発想として、仕事を始めたらゆくゆくは必ず会社になるもんでしょ、そして事業を拡大するもんでしょ、という、実にシンプルな資本主義社会の原則に則っているのである。

 しかし例えば筆者のような文筆業を考えてもらえれば分かるように、こういう職種は会社組織にすることが難しい。「コデラノブヨシ」というパーソナリティで仕事を頂いている限り、代わりがいないのである。これを「株式会社コデラノブヨシ」にしてゴーストライター何人も抱えてボロ儲け、とやるわけにもいかないのだ。

 あるいは組織が大きくなることで、不幸になる例もある。例えば主婦が家事と両立できる範囲のつもりで起業しても、会社が勝手に大きくなってしまえば必然的に家庭には居られなくなる。家庭とは意外に微妙なバランスで成り立っているもので、少しでもバランスが崩れれば、簡単に崩壊してしまうものだ。

 誰にとっても、会社を興して成功するすることが幸せなのか、お金さえ儲かれば幸せと言えるのか、という問題は、人生の価値観につながる。

 今の役所に欠けているのは、おそらくこの視点だ。仕事はずーっと小さいままだが、家族が幸せに暮らして行ければいい、そういう生き方があるというところを理解するまでには、長い時間がかかる。

 なぜこの理解を役所のような自治体経営の施設に求めるかといえば、私企業運営ではSOHO者を保護したって、大して得にはならないからだ。採算を度外視しても市民の幸せのために税金を投入できる自治体でなければ、SOHO支援は成り立たないのである。さまざまな価値観を許容できる社会を作ること、これが役所本来の仕事ではないかと思うのだが。

 「オレンジキューブ」はさまざまな問題点を積み残しつつも、12月3日にオープンする。「SOHO者が日本一住みやすい市」は実現可能なのか。まさか自治体得意の、箱だけ作って終わりってんじゃないだろう。戸田市経済振興課の次なる挑戦に期待したい。

小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。



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